天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

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佐賀県(佐賀市)・与賀神社

20170922

20170922

‪看板があり、急遽曲がった。‬
‪しっかりした神社だね。‬
‪感謝‬

‪二拝二拍一拝‬

【Official site】









與賀神社
與賀神社(よかじんじゃ、与賀神社)は、佐賀県佐賀市にある神社。旧社格は県社。
「与賀神社」とも書き、官公庁での案内など大部分はこちらの表記が用いられている。

祭神
主祭神
与止日女神 (よどひめのかみ)
神社では主神の与止日女神を豊玉姫命と同一の存在として、海神の娘で竜宮城の姫であり神武天皇の祖母である、としている。なお中世に佐賀市川上の與止日女神社から祭神を分祀したもので、與止日女神社と與賀神社は上宮、下宮的関係にあったものと考えられている。

配祀神
八幡神 彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)
住吉神 綿津見命(わたつみのみこと)  
乙宮神 宗像三女神(むなかたさんじょしん) 
印鑰神 天児屋根命(あめのこやね)   
応神天皇(おうじんてんのう) 
菅原道真公(すがわらみちざねこう)

歴史
社伝によれば欽明天皇25年(564年?)の創建で、当初は土地開拓の鎮守神であったと考えられている。創建について、佐賀県公式サイトでは「佐嘉郡小津西郷の塚原大明神を遷して祀ったもので、初め芦原大明神と称した後に、朝廷から与止日女大明神の神号を与えられ、勅願所となったと伝えられる」としている[1]。また佐賀市史には「「藤龍家譜」によると与賀社大明神・前名塚原大明神(与賀町・与賀神社)を鬼門の鎮守としたのである。」とある。社伝によれば鎌倉時代は「与賀庄鎮守宮」で、建暦2年(1212年)に北条義時が社殿を再興、寛元3年(1245年)に執権北条経時が勅により祭祀の礼式を定めたとされている。
詳細が残るのは少弐氏が北九州で勢力を誇ったころからで、建長3年(1251年)に与賀郷の地頭であった少弐資能が洪鐘一口を寄進した記録が残る。さらに時代が下り室町後期の文明14年(1482年)には、大内氏に敗れた少弐政資が父教頼の旧館があったこの地に逃れ与賀城を築き、神社を鬼門の鎮守として社殿を修復した。このとき造立した楼門は佐賀県下最古期の建築物とみられており国の重要文化財に指定されている。
少弐氏没落後もこの地を治めた龍造寺氏、鍋島氏からの崇敬を集め、特に鍋島氏は藩祖鍋島直茂が朝鮮出兵の際に武運長久を祈願し、後にその報賽として社殿、拝殿、神輿などを寄進したほか、初代鍋島勝茂も毎年掃除人夫120人を給付し、他に社領として65石5斗を寄進した。また、「佐賀荘正一位与止日女大明神」の銘を持ち国の重文でもある三の鳥居(肥前鳥居)が鍋島直茂夫人藤女(陽泰院)によって献納されるなど数々の寄進をしている。さらに現在残る本殿・拝殿は宝暦8年(1758年)に鍋島宗教(6代)重茂(7代)父子が造営したものである。
なお、神階は永正10年(1513年)に一位に進んでいる。




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社