天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

どうぞ、食を文化をご堪能ください

福岡市内からジェットフォイルで一時間程度の離島・【夢の島・壱岐】です。様々な素晴らしい素材を使った海産物、農産物など、あらゆる素晴らしいを全国の皆様にご提供できればと真剣に考えております。どうぞよろしくお願い致します。

母と祖母とかすまきと

「かすまき」とは、かす巻(かすまき)とは、「カステラ巻き」とも呼ばれる「カステラ」を使用した和菓子の事である。
 
ただ、私は壱岐の特産品だといくつまで思っていただろう。
 
幼い頃、私の周りは「かすまき」だらけだった。
私の父は11人兄妹の下から3番目で、我が家で法事などを行うと大人数となる。
しかも、他の兄妹は壱岐には一人もいない。
福岡、埼玉、大阪、神戸、東京、横浜などなど。
 
母は自分で言うのもなんだが気が利く人だった。あー、まだ存命です。元気です。
父を除く10x2のお土産数、そして従兄弟たち。
お土産の数と「誰々にはこれとこれ」テキパキと捌く母を見て素直に「凄いな」と思っていた。
(余計なことだが、祖母の末娘(叔母)と祖母の長女の長女(従兄妹)は同学年である。)
 
定番は「アルコールうに」と「かすまき」だ。かすまきは叔母たちから前もって「いくつ」と注文まで入っていた。「アルコールうに」は母の同級生で壱岐で代々からの「うに販売店」という話を信じている母が一番壱岐をしらない人だとよく思う。勝本町片山触に行けない人だから。ちなみに私も行けないというか「どこからどこまでが片山触かわからない」というのが正しい表現だろう。
 
「汐彩屋」さんの甘塩うにとは種類が違うと思ったがいいですね。アルコールうには日持ちはします。しかし、甘塩うには生うにに一番近い種類なので美味しいが日持ちはアルコールうにほどもたない。
 
そう叔父叔母たちが家に戻って「かすまき」を友人たちに配ると喜ばれると聞いていたのかもしれない。
 
つい先日、母から祖母が「土肥製菓さんのかすまき、仕入れよんなったよ(仕入れてたよ)」
あらま偶然、土肥製菓さんと掲載契約させて頂くのと同じ頃だった。
祖母は40歳で人生が「180度変わった」とよく言っていた。3人姉妹で跡継ぎがいないため、曽祖父は漁協に3艘、船を貸していたというから羽振りがよかったのだろう。
そして11人子を産んだ直後に祖父が亡くなり、「豆腐屋を始めた」、末娘が1歳である。
戦後の慌ただしい中、カルテルのような価格の統一に反抗し、もうひとりの業者と価格を上げたらしい。それが警察からご法度となり、連れて行かれた。しかし、鰤1本で帰れるところが勝本浦らしい。と私は、祖母の話を聞いていた。
こういった話を誰が?
 
隣の大久保本店のおばあちゃんだ。ほぼ毎日うちに来て火鉢に私も参加、大久保本店のおばあちゃんは、「どーいもんで。毎年松浦賞、もらいないとばってか、ありがたりもせんじ、捨てよんないちゃーもん。(どういったことよ。毎年松浦賞受賞するんだけど、よろこびもしないで捨てるとよ)」と笑っていた。
※松浦賞とは恐らく壱岐が平戸松浦藩の支藩だったための名残だと思う。知事賞に該当するんだと思います。
 
そして今では有名に?なった「モカジャバ カフェ 大久保本店」は「水産加工問屋」だったことなど誰も知らないと思う(笑)
大久保本店・出入り口
 
大久保本店・内部
 
そして、裏通りへ抜ける道を挟んだ家が私の実家です。
 
実家
ともに築120年は超えたが昔の柱はでかくて丈夫だ。
まあ、私の家を載せても仕方がないのだが・・・。
 
祖母は子どもが巣立ち父も出ていく頃(後Uターン組)、豆腐屋をやめた。
そして家の玄関先にお菓子など駄菓子屋を始めた。
その仕入れた中に土肥製菓さんの「かすまき」があろうとは今年51になるまで知らなかった(笑)
 
壱岐短加寿まき(かすまき)
 
 
加寿まき(細)
 
 
「ご縁」は大事にしたいものです。




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社