天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

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勝本漁業史 第三章 ④~漁業の進展~

二、潮流

対馬暖流
壱岐の海は、壱岐水道と対馬海峡に分れ、黒潮、即ち対馬暖流が流れている。奄美大島の西方で本流から別れた対馬海流の主流は、九州西岸のはるか沖合いを北上して五島列島の西方を通過している。そしてこの附近で北東方に転じて対馬南端に達し、更に別れて東西両水道に入る。
この海流は初め九州西方沖を北上するときは、その流勢は弱く〇・五㌩程度で風のために左右されやすい。しかし対馬海峡に近づくと著しく流速が大になり、夏期西水道では三㌩に達することがある。但し平均は一㌩である。
東水道では対馬神崎南岸が最も強く、南西風が吹き続いた後は流速二㌩を越えることがある。神崎、壱岐間は〇・五㌩から一・二㌩で北東—東北東に流れる。沖の島附近では〇・五㌩内外の偏東流がある。角島附近では下関海峡の潮流に影響され一定ではない。若宮島沖合では満潮(北流)は大潮期には流速約二・五㌩で同島に沿って東方へ流れ、引潮(南流)は流速約三・五㌩で反対の方向へ流れる。
強い北流は春は午後に、夏は昼間に、秋は午前に、冬は夜間におこる。強い南流は春は午後に(ゆう干潮)冬は午前におこる(朝がら)。

潮汐(干満)
月と太陽の引力の影響で、海水は一二時二六分毎に一昇降する。月の直下に当った海水は引力によって隆起し楕円面となる。反対の半球面は地心よりも月の引力の影響が少ないので、あたかも反対の方向に引かれると同一の結果を生じこれまた隆起する。これが即ち満潮で、この二点と九〇度を隔った両地点は干潮を生じる。故に一日中に起る潮汐の一回は月に対する表潮、一回はこれに反する裏潮である。
月は地球にかなり接近するので引力の差は太陽に比べて甚だ大きく、その割合は太陽の一に対して二・三である。だから太陽と月が一直線上に並んだ新月や満月の時には、一+二・三=三・三の力となって大潮をおこし弦月(新月と満月との中間の月)の時には二・三-一=一・三の力であるから、干満の著しくない小潮を成す。
潮の満干は、おおむね春の彼岸から秋の彼岸まで、つまり夏の間は同じ潮時の日でも昼間はかなり引くが、夜は芦辺ほとんど引かない。ユウビシオ=タ方のヒシオが強くなる。これに反し冬の間は夜間に大きく引き、昼間はほとんど引かない(この現象は太平洋側では逆である)。アサガラ=秋の彼岸に入ると朝方のヒシオが強くなり春の彼岸近くまで続く。

潮時
漁民にとって山当てとともに知らねばならないのが、潮時である。一時期、新しがりやの人達が「旧暦は時代おくれ、現代人は太陽暦使用を」と主張し暦の上から旧暦が消えた事があった(一部の暦には残してあったが)。いうまでもなく漁民は新暦だけを見ていては商売にならない。潮時がさっぱり判らないからである。船据えをしようにも、魚を釣るにも、イカを取るにも、旧暦が判らないと計画のたてようがないのである。このように重要なものであるから旧暦復活を望む声が強くなり、やがて元のように新、旧併記ものが出回るようになった。
旧暦=大体月に基いたもので、太陽の運行と一致さすために閏月をおく。
太陽暦=太陽を基として三六五日を一年と定め、五時四八分四六秒の端数を四年毎に一回閏年をおき、三回の閏を除いて調節したもので、現今、文明国は殆ど使用している。
閏年=地球の一公転に要する周期は、三六五日五時四八分四六秒であるが、太陽暦法ではその端数を除いて、三六五日をもって一年としこれを平年とする。
四年に一日弱の余を生ずるので、四年毎に三六六日を置いてこれを閏年といい、余の一日を二月の終りに附けて二九日とする。
このようにすると四〇〇年に約三日の不足ができるから、四〇〇年毎に一〇〇、二〇〇、三〇〇年目にあたる年を、一回ずつ平年に直して調節する。
勝本附近の海では、普通一日に昼、夜二回の潮流れの交替があり(日によっては片潮だけのときがある)、毎日約四〇分位ずつ遅くなるようである。
勝本の主要漁場の潮時表が、昭和三二年度に青年部研究班から発行され、希望者に配付された。
大体の目安として、旧暦五日の一杯満が一二時と覚えておいて計算すれば良いようである。港の潮が下る時(引潮)は沖の方は満潮が行き(北流)、港の潮が上る時(満潮)は沖の方は引潮が行く(南流)というように、港と沖の潮は反対になっている。
〈潮時早見表〉一月と七月、二月と八月、三月と九月、四月と一〇月、五月と一一月、六月と一二月とそれぞれ組み合わせると、前者の昼の潮と後者の夜の潮とが同じである。夏至、冬至頃の潮が一年で一番勢力が強く、残潮は潮が悪くなっている。
〈仲瀬戸〉現在のように船が大型化し、速力も速くなると瀬戸の波もそう考えなくてもよいが、和船や小型の漁船では危険防止のために、ぜひ知っておかねばならないのが瀬戸の波であった。
俗に出(で)月(づき)八(はち)合(ごう)入(い)りながらというのは、月の高さと港の潮の満ち具合を八合満ちといい表したものである。仲瀬戸では月の出から約二、三〇度角位昇ったとき、一番満潮が早く(内から外へ)、大北(おおぎた)のときは避けねばならない。また月が真上から半分位西に片寄った頃から、月の入り(月の入りは瀬戸の引潮はやおるが「ワセ」の沖では引潮が早い)は引潮が(東から西へ)早く、大西(おおにし)のときは用心しなければならない。
〈北風突風時の入港法〉
仲瀬戸入港時の注意 高風(たかかぜ)の場合は、乗瀬に近寄らず、できる限り乗瀬の中辺を通し、城山を瀬戸の真中に置いて入港する。
大北(強い北風)の場合は、満潮、干潮を考えて満潮のときは大曾根を避け、飛(とん)瀬(ぜ)に近寄せて通る。マナイタ附近でトモから波を二つ三つ折込ませる覚悟をして通れば、難なく瀬戸へ入る事ができる。満潮やおりのヨケザカマ(干潮)がくるときは、とん瀬をあらけて大曾根よりを通る事である。
博多瀬戸入港時の注意 大波の場合は、丸山沖で二、三回まわり波の大小を見分けて、大波を三つ折らせて四つ目の波に乗り、瀬戸を一気に乗り切る。瀬戸は少し沖にふさいで置く。大きい瀬波は先ずイッサキ曾根より折り、次に仲曾根で折るから注意する事が大事である。

潮流と勝本浦の位置
現在の漁船では、潮の流れなどは余り気にしなくてもよいが、手漕ぎの和船にとって日常漁をする上で、潮の流れを利用する事は大事な事である。
例えば戦時中、油不足のために本船はつなぎこみ「チョキ」(せいぜい四尋どまり位の大きさで押して速く帆をかけても、まぎり良かった。伝馬は底が平たく波に弱い)で二人平曾根や地のコロビ附近でブリやタイを釣ったのであるが、船頭(五〇歳位)は常に風向きと潮時を考えていた。北風で平曾根に行った場合、地の引潮が速くならない内に入港するようにしないといけない。漁があっていても満潮の残っている内に「やり込む」と楽である。「しもけ」の風の場合は、引潮の内に押し出すか帆走するかして、かかり操業をした。
タイ釣やガシラ釣も同じく、北風に満潮であれば風上に流れるから帆で押し上りながら操業し、「しもけ」の時は仲瀬戸か博多瀬戸を出て引潮に採業する。こうすれば、潮帆がどんどん船を引き上げてくれるから入港は仲江から楽にできた。
大ざっぱな説明ではあるが、以上のように風の力と、潮の流れを巧に利用すれば「しんどう」なしで漁ができた。
いつの間にか、壱岐漁民の共同漁場みたいになった七里ヶ曾根は、勝本から西北西の方角にあたり、また流れが速いと恐れられた潮は、満、干、共にほぼ南北に流れるし、その距離も壱岐から一番近く、和船時代の勝本浦は地の利、潮の利に大変恵まれたところにある。昔から漁が盛んであった理由もこのようなところにあったのではないだろうか。

水温
海水の温度は、気温の影響を受けるので、毎年一定しない。対馬暖流と呼ばれるこの海流は、時期によって、ゆるやかに上下降をくりかえしている。暖かい冬、涼しい夏といった年もあるし、寒い冬、暑い夏もあり、其の年によって大きな差がある。
毎日の水温変化は気温により、約一時間おくれの一五時頃に最高となり、日の出直前ごろに最低になる。一日の平均水温は一〇時頃現われる。
次に掲げる水温表は約一〇年前のものであるが、水試調べによる対馬海峡の水温(水面下一米)で数年分の平均をとったもので大体の目安とされたい。

水温と魚
海水は太陽熱で暖められるので、熱帯地方の海の水は温度が高く、平均二五度Cもある。しかし寒帯地方、特に極地附近ではきわめて低く、〇度Cまたはそれ以下になるのが普通である。この海水の温度が、魚類の生活に大きな関係をもっているのである。
魚類にはそれぞれに適した温度があり、その適温を追って魚は移動するのである。したがって魚類の適温を知っておくことは、漁業上絶対に必要なことである。
わが国をとりまいている海水も、南方から流れてくる黒潮(暖流)は温度が高く、北方から流れてくる親潮(寒流)は温度が低い。したがって、それぞれ海流によって住む魚もちがってくるわけである。海流と関係のない内湾の魚も水温などにより、岸に近づいたり遠のいたり、その住みかを移動するのである。
カツオ=二二度~二五度C
ブリ=一五度C
マグロ=一八度~一九度C
サバ=一四度~一五度C
イワシ=一三度C
タイ=一五度C
ニシン=六度~七度C
タラ=二度~三度C
サケ=七度~九度C

魚の回游
魚は大体いつも同じ所に住んでいるものが多いが、種類によっては遠い距離を回游しているものもある。回游するのは次のような種類である。
季節回游=カツオ、マグロ、カジキ、ニシン、タラなどの魚で、それぞれすむ水温がはっきり決っている種類である。
季節によって海水の温度が変わるので、すむ適温を追って回游するのである。
産卵回游=サケ、マスなどのように産卵のために海から川へのぽってくる魚や、ウナギのように逆に深海へ卵を産みに川を下って行く魚がおこなう回游をいう。
成育回游=浅い海で小魚時代をおくった魚が成長すると、沖の岩礁地帯へ移動していくためで、小規模な回游である。アジなどはこれにあたる。
索餌回游=ある場所の餌を食べつくして、餌がなくなると次の餌の多い場所へ移動していくという小回游で、カジキはその代表である。
またあまり移動しないと思われるカレイのような魚でも、餌をもとめて、かなり長距離を移動するといわれる。

プランクトン
水中、水面に浮いて生活している、目に見えないくらい小さな生物をプランクトンという。これはギリシア語の「放浪者」という意味で、クラゲのような大きいものから、肉眼では見えないくらいの小さなものまである。しかもその大部分が小さなものである。この中にはカニ、ウニ、フジツボ、ヒトデ、貝の子ども、魚の卵や子どももいるが、みな親と全然違った形をしていて水の流れにのって運ばれていく。プランクトンは海だけでなく川、池、沼、ちょっとした水たまりにもいるし、動物プランクトンのほかに植物プランクトンもいて、種類が多い。プランクトンは、魚をはじめあらゆる生物を養っている生命源であり、また重要な生物資源のもとでもある。
プランクトンはときに原因不明の大発生をすることがあり、このために海の色が変ることさえある。この現象を、ふつう赤潮とか苦(にが)潮(しお)とか呼んでいる。俗に「潮が腐る」といって漁民が恐れているのがこれである。沿岸でよく見られる赤潮は夜光虫によるものがいちばん多く、また珪藻や鞭毛虫によって起こることもある。
夜光虫や鞭毛虫による赤潮では海の色がトマトソースのような赤褐色となり、珪藻による場合は暗緑色か黄褐色になる。このような赤潮が風のために海岸に吹きよせられると、岸にいっぱいになったプランクトンの呼吸のために、海水中の酸素が不足する。そしてそのため付近の魚や養殖の貝類の呼吸が困難になり、ついにこれらの有用水産生物が大損害をこうむることになるのである。
〈にが潮は北風のもと〉勝本では「にが潮」と呼んでいて、春先に見る事が多い。これができると北風になるといわれている。

透明度
海水中の懸浮物質やプランクトンが多くなると、海水はにごってくる。また天候状態にもよって透明度は変化する。薄い巻雲ぐらいでは大した影響はないが、層積雲や乱層雲が空をおおっていると透明度は二ー三割減少する。
海のにごった時、よく澄んだ時によって漁獲に対する影響は大きい。大体、昼間の操業はにごりを良とし、夜間の操業は澄むを良とする。特にブリ漁と海水の「にごり」は密接な関係があり、もちろんにごった時が食いは良く、澄むとてきめんに食いが悪くなる。大体、にごりはじめと澄みはじめの時期に数日間大漁のようである。
昔から勝本では、正月のモチ米をとぐ時は水が無くて困る年でないとブリが釣れない、といわれてきた。雨が降れば海の中はにごるだろうと思いがちであるが、それは港の中だけの事で、沖の潮は雨が少い時ほどにごりが長続きするといわれている。従って雨が少なければ、ブリが人間の引っ張るエサに良く食い付くのである。水道の普及した現在実感が湧かないであろうが、昔は西部地区では水に困っていてこういうことがいわれたのである。
冬季、暖かい南の大風や大西が吹けば、大体にごるようである。寒のさめる寒ざめにごりや彼岸ブーの吹く彼岸にごりの時は、昔からブリの大漁があるとされている。

季節風
おおざっぱにいって、夏は大陸の気温が附近の海洋よりも高いために、気圧は海洋に高く、大陸に低い。そのため海洋から大陸へ吹き込む風が生じる。逆に冬は、丁度その反対の方向に風が生じる。我が国では、夏は太平洋からアジア大陸の方へ、即ち南東の風が吹く事が多い。冬はアジア大陸から太平洋の方へ、即ち北西の冷たい風が吹き返す。この二つの風の交代の時季は海陸の気温の殆ど等しい時で、三、四月と九、一〇月がそれに当る。
〈春一番〉春になって初めて吹く強い南風のことを、春一番という。古くから九州地方や瀬戸内海沿岸の船乗りや漁師達が、シケの多い冬が終り春が来た事を知らせる風として使っていた言葉である。壱岐の漁民がいい出したという説もある。案外、私達の祖先が考え出した言葉かも知れない。一九五九年、或る人が歳時記に解説して以来、ラジオ、テレビ、新聞等で使われだした。この他春に吹く風をさしていう言葉はいくつかある。
サクラの花咲く頃の南風を春二番、サクラの花が散る頃の南風を三番と云う(勝本で云うひがんブーであろう)。また春のヒトエニシは、春に吹く強い西風のことで、冬のように幾日も吹き続かずたいてい一日位でおさまってしまう。旧四月頃の強い西風をメカブオトシといい、風や波が激しいから岩礁についた海藻類も離れ落ちる位である。
〈クロバエ〉これは、梅雨時に吹く南の大風のことで、おそらく台風が東支那海から黄海方面に抜けて行った時の風と思われる。天気予報のなかった和船時代、もっとも恐れられていた。
〈シロバエ〉梅雨期に吹く南の大風のことをいう。然しクロバエと違い天気晴朗にして吹き続ける。
〈オシアナ〉二百十日前後の台風前に東南方面より吹き出す風で、台風の大きさに比例するようである。
〈アオギタ〉秋に連続して吹く北風のことをいう。この呼び名のいわれにはいろいろある。吹き出すと仲々凪がない。それ故に漁民が生活に困り青くなるからアオギタであるという説や秋の北風は雨が降りにくく、青空続きの中で吹く風だから青北であるという説がある。
夫婦喧嘩と北風は夜凪がする、といわれているように夜中になるに従って平穏となる場合が多い。また北風の朝寝といって朝方凪ぐが、北風の三とき下りといって昼過ぎ頃から風が強くなる。
〈ジリギタ〉たいていの場合は雨を伴う事が多いのでジメジメとした意味をふくみ、代表的には正、二月のジリギタがある。
しかし四季を通じて土用がさめると北風が多くなるといわれ、漁に出られるか出られないか位の小風が吹き続く時にもこの呼び名が使われる。他に正、二月(旧暦)の木の芽出しとも呼ばれる、雨と共に吹く東寄りの風があり、旧五月の節句前後に吹くのぼり北、旧六月の祇園北、旧七月中旬の盆北と毎年大体同じ頃吹くようである。
〈稲光り〉昔から、田の中に稲のある間の稲光りは大方、風は荒らさぬもの、イネひかりという。稲刈りのすんだ後の光りものは、本当のいなびかりだから用心すること。
〈ヤマゼ返し〉ヤマゼとは、旧一〇月一〇日の金毘羅祭から旧正月一七日頃迄の風を云う。初め南東(ヤマゼ)の風が吹き暖かい。しかし寒冷前線の通過で俄雨などが降り、西寄りの突風(オトシ)が吹き寒くなる。
〈シリツキヤマゼ〉ヤマゼは大抵西にかわし「タカク」なって凪ぐのであるが、それが北に回らず元のヤマゼになった場合をいう。
ナガヤマゼ(長いヤマゼ)は北になる。これは、ヤマゼが二日も続くと西に落さず逆転して北の強風になる事が多いためである。このように北転した場合は天気の回復が遅い。
〈オトシ〉凪、又は微風が急激に風向を変えると同時に強い烈風となる。このような場合をオトシといい、東南風が西に、或は北になる。
〈タカッポー〉この場合は、特定の風から変化する事はない。前ぶれとして雲行きが悪くなったり、良い凪であるのに北ウネリができてきたりしたような時、また出漁中、上天気であるのに北沖に一直線の筋雲ができたり、黒雲が立ちのぼってきたりしたような時に吹き出す。古老は、仲江、即ち若宮島と聖母神社の間の海上に大波ができるようだと大北になるぞ、と若い頃の私達に良く注意したものである。
オトシは西、又は北風に限られるようで、東や南の風はジワジワと強くなる。
〈逆回り西〉自然の現象として、潮の流れや風向きは右に回って休むようになっている。冬の風などは西から北西になって(タカクなるという)凪いでくるのが普通である。ところが時として北西―西―南西とまわると(サガルと云う)折角凪ぎかけた風が、又荒れだすのである。
やはり自然現象に反して逆さにまわるのであるから、なにか無理があるのであろう。特に北から西になったような時は、仲々凪ぎにくく長い間吹く事が多い。
〈アナジ(アナゼ)〉寒い北風冷たいアナジというように、冬シベリヤ高気圧から吹き出す寒い北西の季節風で、晩秋から冬季にかけての風名である。
そしてむら吹きする風でもあって、強い時は「カマキ」(風のかたまりでキリキリ舞いをしたような状態で吹くのをいう)のする位であるが、その後はウソのように平穏となる。
俗にいう北風の朝凪、アナジの夕凪、といわれるくらい朝方強く、昼すぎ頃から風になる場合が多い。
 




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社