天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

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四、組合の再出発

四、組合の再出発
20210520

太平洋戦争も昭和二〇年八月一五日終戦となったが、物資の欠乏はますます深刻となり、あらゆる物資の入手は、非常に困難であった。ほとんどの品物は統制下にあり、公定価格が付けられていたが、闇取り引きが公然と行われていた。それに続いて二五年より起きた朝鮮動乱の影響で、物資はいよいよ窮屈になった。どの家庭でも資金的には余裕はあっても金銭で買うことができず、衣料品などは物々交換で求める時代であった。

漁業協同組合の再出発
昭和二四年ついに漁業会の解散指令が出され、再度協同組合が設立されることとなった。
当組合としても直ちに漁業会整理に着手し、精算委員会を組織した。委員長には松尾常太郎氏を推して総決算に入り、剰余金の分は組合員に配分する事とした(配分した金は協同組合の出資金に充当)。続いて、協同組合の設立に入り、設立委員会を結成し委員長に村川幸平氏を推薦した。昭和二四年八月一一日漁業協同組合設立総会を開催、組合長に平畑福次郎氏を選出し、ここに勝本町漁業協同組合は発足した。
同年八月三一日県水指令第二三九四号をもって認可された。一〇月一〇日には登記を完了し、一七日に第一回出資払い込みを完了した。出資一口の金額五〇〇円(漁業会精算による配当金より払い込む)であった。
従来の定款を変更して、役員の定数を理事五名であったのを七名にし、任期を理事三年、監事二年であったのを理事監事共二年に変更した。
このような経過で勝本町漁業協同組合は発足し、現在に至っている。

漁業用地の造成および正村湾の浚渫
往時より西部漁民が非常に悩んでいたのが、正村湾の繋船場のことであった。
大正中期頃、一度浚渫されたけれど不完全であったため、町当局におねがいして昭和二五年に浚渫の計画ができた。浚渫した土砂を漁業施設の用地として、勝本港の入口小敷瀬防波堤の内側を埋め立てる計画をした。第一期工事として、二五年三月埋め立て地の護岸工事五九四坪七五勺を完成し、総工費三四万七〇〇〇円、内町助成金一〇万円を受けた。同年一〇月いよいよ待望の正村湾浚渫に入り、その土砂は埋め立ての護岸工事内に入れ、浚渫と埋め立て共に完成したのである。
その後この埋め立て地の外側を埋め立て、現在のような約一二〇〇坪の土地ができ、造船所・船揚場・機関修理工場等、漁業用地として使用されている。
なお正村湾の浚渫は、その後二回程実施されたが、近年の漁船の増加と大型化にはおいつけず、漁船は二重、三重につなぎ困難をきたした。そのため入港、出港のことを考えると、操業を中止して早く帰港するなど、漁業に大きな支障があった。

湯ノ本漁協との合併
昭和三〇年代に入ると、全国的に沿岸漁業の不振がさけばれるようになった。これは沿岸より沖合いにかけての、資源減少によるものであり、回復は困難と考えられた。そこで漁村の不況を打開するためには、経済団体である漁協の育成強化をすべきであるという考え方から、漁協の合併問題が取り上げられることになった。
長崎県においても、水産部の沿岸漁業振興部会で研究の結果、経済基盤の確立した組合を作るべきであるという結論に達した。そこで強力に推進することになった。壱岐郡でも、一二組合を五組合にする方針が打ちだされた。勝本漁協も昭和三三年頃より、湯ノ本漁協と合併するよう、勧奨された。
種々な事情により成立が延びたが、昭和三七年度一挙に合併の機運が高まった。そこで合併委員会を結成し、三七年一〇月八日調印の運びとなった。昭和三八年一月正式に吸収合併され、正組合員一〇八名、准組合員一〇名が加入、理事として原要一郎、斉藤政常両氏を選出し正式に登記した。
昭和三九年には、勝本町当局に要請して、現在の湯ノ浦を埋め立て荷捌所の敷地を造成した。荷捌所事務所等は次の通りであり、昭和四〇年一二月完成した。
建物一棟 管理室七坪五合 荷捌所一八坪七合 貯氷庫三坪三合(貯氷七㌧)冷蔵機三馬力 その他洗浄 荷捌施設外一式 製品倉一棟 木造平屋建 スレート屋根一棟 建坪二〇坪(内倉庫一五坪 坪荷捌所五坪)
昭和四一年 石油タンク二〇㌔一基

タイ葛(かずら)網事業開始
昭和二六年度より、塩谷の漁業者によるタイ葛網漁業が企画された。
平戸方面よりその筋の専門家の指導によって網を作製し操業したところ、非常な好成績であった。漁法は、手長島周辺より葛によって、タイその他の魚類を追い込んで弁天の後まで来た時に網を入れて取る方法である。タイ、カツオその他の魚類など、多量な




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社