天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
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三、戦時体制下の組合

三、戦時体制下の組合

 

勝本町漁業会発足

昭和一九年度に勝本町漁業協同組合の解散となると、さっそく漁業会組織の指令が出された。

漁業会結成の計画は早急に行われ、一九年六月に設立し総会を開催した。七月に認可され、八月に登記を完了し国家総動員法に基づいて、大政翼賛政治による国の協力機関として、勝本町漁業会は発足した。役員は全員官選となり、会長に勝本町長吉田覚太郎氏、理事に町助役永元久造氏、漁民側から立石幸吉、平畑福次郎、松尾常太郎の三氏が任命された。漁業会は、職員の大半が召集徴用され、なお残り職員の半数を退職させるなど、一大変事であった。

昭和二〇年八月戦争は終結し、召集徴用に出ていた組合員も徐々に帰郷して、漁業に従事するようになった。しかし漁船は少なく中古船などを購入しての復帰であった。その上漁具はもとより、燃料その他の資材不足のため困難な時代であった。漁業会としては、事業以外に国の指令によって物品の配給機関として、漁業用資材はもちろん、その他衣料品日用品までも配給していたのである。

漁業会当時の役員

昭和一九年度会長 吉田覚太郎

理事 永元久造 立石幸吉 平畑福次郎

松尾常太郎

監事 大久保豊平 佐々木熊太郎

中上福太郎

昭和二一年度会長 平畑福次郎

理事 立石幸吉 佐々木熊太郎

阿比留嘉一郎 中村俊次郎

監事 川崎弥吉 中上福太郎 中村忠助

昭和二三年度

監事 中原兼助、中村忠助 中上福太郎

役員の任期は、理事三年、監事二年であった。

 

充電事業の開始

漁船の集魚灯は往時よりかがり火による漁法であった。それが石油ランプとなり、大正の中期よりガスランプを使用するようになった。これは昭和二〇年頃までつづいた。

戦後よりバッテリーが流行した。その充電を勝本の三か所ぐらいで行なっていたが、漁業会で事業の開始という声が強く、充電事業にふみきった。

充電所建物は、名鳥島の旧兵舎の払い下げを受け、仲折の石油部の敷地西側に建設した。

建坪平屋建 一九・七五坪

原動力 二〇馬力一基

その他 配電盤外付属設備一式

総事業費 七七万九六一円

昭和二三年四月、専門の技術者を雇い入れて事業を開始した。しかし昭和三〇年度頃より集魚灯として発電機が流行し、各船共、急速にすえつけるようになったので、余儀なく昭和三二年四月に閉鎖した。

 

戦時中の組合の運営

戦時中は、経済界の変動も激しく食糧その他日用品等あらゆる物資は欠乏していた。その物資には公定価格がつけられ、食糧米も一日ひとり当り二合三勺の配給となり、闇取り引きが横行する時代となった。製品はほとんど軍需にまわされ、一般の景気は変則な特需景気となり、インフレの進行がはなはだしい時代であった。

漁業関係としても、あらゆる鮮魚・海藻・貝類共に公定価格がつけられ、漁業者としても公然と自分で闇取り引きをし、水産物はほとんど組合では集荷できなかった。

この状態では組合の運営ができないということから、役員会で決議の結果、組合で集荷し闇商人で入札して売渡すことにした。その時代ブリにして、一〇〇匁二七円の公定価格が入札すると七〇円から一〇〇円で、取り引きができることもあった。計算の方法は一度公定価格で仕切り窓口で支払い、闇値の残余の分は出荷奨励金の名目で、後で総代を通じて支払っていた。

一方統制違反が続出した。組合としても一八年度に、漁船の石油購買券を運搬船に流用したと、組合長と石油部の主任二人が郷ノ浦本署に三日間留置され取り調べを受けた。続いてカジメの横流しの件にて組合長と会計主任が、またワカメの横流しの件では、組合長とワカメ切り組合長および会計主任三名が五日間、郷ノ浦本署に留置取り調べを受けた。従って鮮魚の闇入札には非常に恐怖を感じていたところ、ついに鮮魚の闇入札が発覚してしまった。舞ノ浦本署は、事務所を捜査し、帳簿・伝票・外経理関係の書類全部を押収され、その中より奨励金の伝票が発見されてしまった。ついに会計主任一名は連行され、七日間留置、取り調べを受けたのである。結局組合長五〇〇〇円、会計主任三〇〇〇円の罰金を課せられて釈放された。




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社