天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

どうぞ、食を文化をご堪能ください

福岡市内からジェットフォイルで一時間程度の離島・【夢の島・壱岐】です。様々な素晴らしい素材を使った海産物、農産物など、あらゆる素晴らしいを全国の皆様にご提供できればと真剣に考えております。どうぞよろしくお願い致します。

七夕、織姫と彦星、そして天の川

七夕、織姫と彦星、そして天の川

一年に一度の織姫と彦星が会えずに流す涙、また雨の氾濫で天の川を渡ることはできないが「かささぎ」の群れが橋となり、二人は会うことが出来た」
という話も有名です。

まったく知りませんでした(笑)
実は7月7日は父の誕生日でそちらに重きをおいた記憶が強かった気がします。はて、父は彦星様たり得たでしょうか。間違いなく言えるのは母は織姫様ではなかったでしょう。
大きめの布団叩きで私と妹を追い回し本気で叩く織姫様はいないでしょう(笑)。なぜか妹は俊敏で忍者のごとく交してました。口が裂けても言えないですが3人目を産んでから横綱化したなど口が裂けても言えません。

七夕に話を戻すと我が「夢の島・壱岐」には「天の川酒造」という酒造屋さんがあります。
お中元にも最適です。

「夢の島・壱岐」ならではだと信じています。

是非、七夕の夜に。

天の川

 

夘八(うはち)

 

𨕫尾(しめのお)

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七夕といえば、願いを書いた短冊を笹に飾る行事ですが、その由来には織姫と彦星の七夕伝説があります。

有名な話なのですが、多くの人が「夫婦」である織姫と彦星の関係を「恋人」と誤解していたり、正しく把握している人は意外と少ないものです。

諸説、多すぎて書けません(笑)



参考までに一般的な七夕伝説(織姫と彦星の話)を記載しておきますね。

まず、七夕伝説として最も一般的な織姫と彦星の物語で、これは、牛郎織女(ぎゅろうしゅくじょ)という、中国発祥の物語だそうです。

●概要
天帝により離れ離れにされた夫婦、織姫と彦星が、1年のうちで7月7日だけ会うことが許されたという物語。

お互い勤勉であった織姫(織女)と彦星(牽牛)は、夫婦になったことで怠惰になるそれに見かねた天帝は天の川を隔てて東西に引き離す
二人が悲しみに暮れていたため、天帝は1年で7月7日だけ二人が会うのを許可した。


●詳細
天の神様の娘「織姫」はそれはそれは美しいはたを織っていました。神様はそんな娘が自慢でしたが、毎日化粧もせず、身なりに気を遣わずに働き続ける様子を不憫に思い、娘に見合う婿を探すことにしました。

すると、ひたすら牛の世話に励む勤勉な若者「彦星」に出会います。この真面目な若者こそ、娘を幸せにしてくれると思い、その若者を娘の結婚相手に決めました。

そんな二人は毎日仲睦まじく暮らしましたが、これまでとは一転して遊んで暮らすようになり、仕事を全くしなかったため、天の服は不足し、牛達はやせ細っていきました。神様が働くように言うも、返事だけでちっとも働こうとしません。

ついに怒った天の神様は、織姫を西に、彦星を東に、天の川で隔てて引き離し、二人はお互いの姿を見ることも出来ないようになりました。

それから二人は悲しみにくれ、働こうともしなかったため、余計に牛は病気になったり、天の服はボロボロになっていくばかりです。

これに困った天の神様は、毎日真面目に働くなら7月7日だけは会わせてやると約束をすると、二人はまじめに働くようになりました。

こうして毎年7月7日の夜は織姫と彦星はデートをするようになりました。

●催涙雨(さいるいう)について
7月7日に降る雨のことを『催涙雨』と言い、
これには様々な捉え方があります。

その中でも最も一般的なのが、
「年に一回の機会に会うことが出来ずに悲しむ織姫と彦星が流す涙」
というものです。

この悲しいエピソードとは別に、
「雨の氾濫で天の川を渡ることが出来ないが、“かささぎ”の群れが橋となり、二人は会うことが出来た」という話も有名です。




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社