天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

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鹿児島県(薩摩川内市)・新田神社

鹿児島県(薩摩川内市)・新田神社


朝の参拝は本当に気持ちいいよね。

さすがに今日は上まで車で行ける案内板が目に入りました。

あの激坂の影響かここ2、3日膝がピキッとなる時がある(笑)

落ち着くよね。 

神社仏閣って。

やっぱり感謝だよなと思う。

ここ一、二週間で頂いた言葉で少し定まり、いい意味で固まりつつある。

もちろん、僕も人間だから怒り、落ち込んだりすると思う。

でも、自分の考えと似たような考えに出会い、共感できることで自分が安堵を覚えてるのを感じます。

やはり、感謝です。

基本情報
所在地:〒895-0065 鹿児島県薩摩川内市宮内町1935-2
電話:0996-22-4722

【Official site】





























新田神社(にったじんじゃ/にいたじんじゃ)は、鹿児島県薩摩川内市宮内町にある神社。薩摩国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
かつては八幡五所別宮の一つとして八幡神を祀っていた為、別に「新田八幡宮」・「八幡新田宮」・「川内八幡宮」・「一宮八幡」・「新田明神」等とも呼ばれる。

祭神
・天津日高彦火邇邇杵尊
・天照皇大御神
・正哉吾勝々速日天忍穂耳尊
・江戸時代までは応神天皇、神功皇后、武内宿禰の八幡三神を祀っていた。

歴史
社伝によると「天津日高彦火邇邇杵尊」(ニニギノミコト)の墓を祀ったのが創始」とされるが、新田神社のことを書いた最も古い史料は永万元年(1165年)のもので、これには「貞観のころに再興」とあり、また「藤原純友の乱のときに国家鎮護を祈願し5か所建てた八幡宮の一つ」とする史料もある。『延喜式』に全く名前が見えないことから見て、当初の地位はかなり低いものだったと考えられている。
文治年間(1185年-1190年)、新田神社筆頭職の執印職に守護島津氏と祖を同じとする鹿児島郡司の惟宗康友が就き、康友の子孫が執印氏を名乗り(元弘3年(1333年)に後醍醐天皇が新田宮執印職の当知行を安堵)明治に至るまで、代々俗体で世襲することになる。
蒙古襲来(元寇)で、鎌倉幕府は各国の一宮と国分寺に蒙古調伏の祈祷を命じ、各国の守護に一宮への剣、神馬の奉納を命じた。薩摩国では枚聞神社と新田神社の間で一宮相論が起こっていたため、島津氏(忠宗)は、一宮の決定とは無関係としながらも 剣、神馬を新田神社(同族の執印氏側)に奉納する。これは事実上一宮は新田神社と認める行為で、一宮相論は決着し、古来から一宮であった枚聞神社から新田神社へと一宮が移ることになるが、最終決定がされておらず、薩摩国に一宮が二つ存在することになる。また、国分寺留守職、天満宮別当職に執印氏の分流の国分氏が就き、新田神社は薩摩国国分寺とも深い繋がりを持つ事になる。武神である八幡神を祀っていたことから、当地を支配していた島津氏に尊崇を受け、暦応4年(1341年)年記のある『島津家文書』に依ればこの新田神社が「薩摩国一宮」として挙げられている。
近代社格制度においては、当初無格社であったが明治18年(1885年)に枚聞神社より上の国幣中社に列した。

山陵
明治7年(1874年)7月10日、明治天皇の裁可を経て可愛山陵(えのやまのみささぎ)が「邇邇芸尊陵」の指定を受け、大正3年(1914年)に宮内省直轄となった。新田神社のある神亀山の5分の4が陵墓の領域で、現在は宮内庁書陵部桃山監区可愛部事務所が置かれ、内閣府事務官が陵墓守部として管理している。陵墓と神社が一体となっているのは全国でも珍しい形態である。
大正9年(1920年)3月30日・昭和天皇(当時の皇太子)参拝、昭和37年(1962年)今上天皇(当時の皇太子)及び皇后美智子(当時の皇太子妃)参拝、など皇族の参拝は9回にも及んでいる。

摂末社
御陵社
 ・可愛陵社(えのみささぎしゃ)
 ・祭神:邇邇杵尊
 明治7年の可愛山陵指定によって創建され新田神社の境内社となったが、大正3年に宮内省の管轄に移管される。

 ・端陵神社(はしのみささぎじんじゃ)
 ・祭神:木花開耶姫尊(邇邇杵尊の妃神)
 神亀山の頭部部分に鎮座。邇邇杵尊の妃神の御陵と伝わるため、「御前様陵(ごぜんさまのみささぎ)」とも呼ば れる。

 ・中陵神社(なかのみささぎじんじゃ)
 ・祭神:火闌降命(邇邇杵尊の皇子神)
 神亀山の首部分に鎮座。

・川合陵神社(かわあいのみささぎじんじゃ)
 ・祭神:天火明命(邇邇杵尊の兄弟神、もしくは皇子神)
 神亀山ではなく五代町に鎮座。御陵殿(みささぎどん)とも称された。

摂社
・四所宮(ししょぐう)
 ・祭神:彦火火出見尊・豊玉姫尊・鵜草葺不合尊・玉依姫尊
 本殿の向かって右脇に鎮座。若宮四所宮、若宮殿とも称する。

・武内宮(たけうちぐう)
 ・祭神:彦太忍信命(孝元天皇の皇子で武内宿禰の祖父)
 本殿の向かって左脇に鎮座。武内社とも称する。

境内末社
・二十四社(にじゅうししゃ)
 ・祭神:天孫降臨に際して供をした五伴緒神(天児屋命、太玉命、天鈿女命、石凝姥命、玉祖命)をはじめとする 24柱武内宮の向かって左側に鎮座。

興玉神社(おきたまじんじゃ)
 ・祭神:猿田彦命
 西廻廊向かって左側に鎮座。かつては若宮四所宮、武内社に次いで尊重され、大王社(太玉社)とも称された。

高良神社(こうらじんじゃ)
 ・祭神:天鈿女命
 神亀山中腹に鎮座。高良社、猴等神社とも称する。

中央神社(ちゅうおうじんじゃ)
 ・祭神:大山祇神(邇邇杵尊の岳父)
 神亀山中腹に鎮座。中王社とも。神亀山の地主神と伝わる。

早風神社(はやかぜじんじゃ)
 ・祭神:級長津彦命
 神亀山中腹に鎮座。早風社とも。

東門守神社(ひがしかどもりじんじゃ)
 ・祭神:豊磐間戸神
 神亀山石段入口の向かって右側に鎮座。殿門守護の神で、往古は東善神王と称された。

西門守神社(にしかどもりじんじゃ)
 ・祭神:櫛磐間戸命
 神亀山石段入口の向かって左側に鎮座。殿門守護の神で、往古は西善神王と称された。。

保食神社(うけもちじんじゃ)
 ・祭神:保食神
 神亀山麓に鎮座。田の神と同一視され、現在でも農耕儀礼の神事が行われる。

稲荷神社(いなりじんじゃ)
 ・祭神:倉稲魂命
 昭和初期に近隣工場の守護神として創建され、後に工場閉鎖に伴って神社境内へ遷座。
 ※廃絶した境内末社

彼岸社(ひがんしゃ)
 ・祭神:波切不動明王
 かつては社僧の読経修行の場であったが、幕末期に廃社となった。

荒神社(こうじんじゃ)
 ・祭神:素戔嗚尊
 現在の可愛山陵内に鎮座していたが、創建年代・廃社年代ともに不明。

境外末社
大己貴神社(おおなむぢじんじゃ)
 ・祭神:大己貴神
 汰宮(すべりのみや)とも称す。往古は薩摩総社の役割を果たしたと伝わる。

九樓神社(くろうじんじゃ)
 ・祭神:甕速日神
 隣接する守公神社とともに「九樓守公神社」とも称される。

守公神社(しゅこうじんじゃ)
 ・祭神:樋速日神
 薩摩国総社と伝わる神社で、隣接する九樓神社とともに「九樓守公神社」とも称される。

武内神社(たけうちじんじゃ)
 ・祭神:彦太忍信命
 かつての宮内麓(郷士の居住地)に鎮座。

大将軍神社(だいしょうぐんじんじゃ)
 ・祭神:武甕槌神
 五代町に鎮座。室町後期の創建と伝わり、大将軍宮とも称される。

八尾神社(やつのおじんじゃ)
 小倉町に鎮座。八王明神とも称される。鏡山神社(祭神・八咫鏡)を合祀。

船間島神社(ふなまじまじんじゃ)
 ・祭神:御伴神(十郎大夫)
 船間島に鎮座。海神宮とも称される。祭神の十郎大夫は御伴神の1柱で、この地で病死した神であるといわれる。

※廃絶した境外末社

鏡山神社(かがみやまじんじゃ)
 ・祭神:八咫鏡
 かつて小倉町に鎮座。伝承では邇邇杵尊が当地の国津神の抵抗にあった際に、八咫鏡を隠した場所と伝わる。後に 八尾神社に合祀。




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社