天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

どうぞ、食を文化をご堪能ください

福岡市内からジェットフォイルで一時間程度の離島・【夢の島・壱岐】です。様々な素晴らしい素材を使った海産物、農産物など、あらゆる素晴らしいを全国の皆様にご提供できればと真剣に考えております。どうぞよろしくお願い致します。

勝本浦郷土史

勝本浦郷土史91

勝本浦郷土史91漁に苦しむ。 二 勝本の漁船集魚灯に石油ランプに代わり瓦斯ランブ普及する。 三 勝本浦における動力船五一隻、無動力船二七〇隻、計三二一隻。 四 九 壱岐ブリ飼付漁業のため、七里ヶ曽根荒廃して不漁が続き、勝本の漁民総代、飼付総会に出席して、漁民の窮状を訴え撤廃を求める。 四 勝本の西部青年会員約三〇〇名、ブリ飼付全廃を叫んで、郷ノ浦に押しかけ、交渉しようとしたが、警察署員に阻止され、...

詳細を見る>>

勝本浦郷土史90

勝本浦郷土史90カが少し大漁すると、組合もその処置に困った。特に漁が幾日も続くと、加工業者も整理出来ず、徹夜の仕事であるだけに、疲れもあって、沖止めを組合に申し出る事もあった。それでも自家加工をする者は稀であった。婦人部によって、出来る限り、自家加工を奨励した事によって、大多数の漁家が加工するようになった。そして漁業組合にて一元集荷する事によって、組合の歩金も入り、漁士も安心して出漁する事ができた...

詳細を見る>>

勝本浦郷土史89

勝本浦郷土史89た事から青年の資質の向上を計らんため、先ず手近な問題から研究発表会等を実施して、部員が自由に自分の意見を発表できるレベルに到達する事を念願とした。当初の部活動はどのように実施して来たのか、部活動の方向等を示した規約もあるが、省略し部活動の大要を記す。事業班 貯蓄の奨励、瀬戸の藻切り作業は当時海藻が多く、船の航行に支障が多かっただけに、当時の船主に大変喜ばれたものである。 又春のワカ...

詳細を見る>>

勝本浦郷土史88

勝本浦郷土史88た事から青年の資質の向上を計らんため、先ず手近な問題から研究発表会等を実施して、部員が自由に自分の意見を発表できるレベルに到達する事を念願とした。当初の部活動はどのように実施して来たのか、部活動の方向等を示した規約もあるが、省略し部活動の大要を記す。事業班 貯蓄の奨励、瀬戸の藻切り作業は当時海藻が多く、船の航行に支障が多かっただけに、当時の船主に大変喜ばれたものである。 又春のワカ...

詳細を見る>>

勝本浦郷土史87

勝本浦郷土史87をやめ、スルメの買付を始めると共に、海草類全般に亘り、買付を始められ為に、カジメ、ヒジキ、ワカメ、テングサ、フノリ等、あらゆる海草の採集がさかんになったが、土肥氏の逝去以来、カジメを除いて、組合にて集荷され、競売され、時季になるとワカメ採取も盛んに行われていたが、養殖ワカメが都会に出るようになってからは、自然ワカメも安価となり、採取する人も非常に少なくなり、従って海草すべて採集する...

詳細を見る>>

勝本浦郷土史86

勝本浦郷土史86上漁場ブリ定置網 組合も自営事業を行う事によって、その利益を組合の手数料の引下げまた指導事業の強化を目的として、昭和四八年から五〇年にかけて、七里ヶ曽根にブリ飼付事業を操業して、多額の欠損金を出して中止した。又昭和四〇年十二月より下漁業定置事業で、七年間にて約五百万円近くの欠損金を出して四七年に閉鎖した。斯うした経験を幾度か重ねて、組合の公営事業の困難な事を承知しながら、今迄の飼付...

詳細を見る>>

勝本浦郷土史85

勝本浦郷土史85隊のような存在と見られたのであろう。しかし船の性能、乗組員は優秀で、イカの取扱いも、他県の大型船をしのぎ、鮮度のよいイカを多量に水揚げするので、何処の港でも評判はよかったのである。特殊船の収入は勝本漁民の羨望する事になり、十九トン型の特殊船は次々と増えていった。そして夏冬操業するようになった。四七年には出漁船数も増加して、漁協役職員も入漁交渉で忙しくなり、又積極的に奔走した。漁港の...

詳細を見る>>

勝本浦郷土史84

勝本浦郷土史84の対抗上、これも長続きせず、暫くは燭光自由の時代も続いた。 発電機によって、イカは獲れるようになったが、機械の音は高く、発電機は故障が少なくて、回転が安定した機械でなければということもあって、折りからのデイーゼル化に拍車をかけることとなった。この頃から次第に増灯競争が始まったのである。表に二個、船尾に一個の、勝本船で制限された方式で、何処に行っても勝本船と判る如くよく守られ、対馬に...

詳細を見る>>

勝本浦郷土史83

勝本浦郷土史83少しているが、売値の高騰によって、数字的には保たれているのであろう。特に近年は、漁不漁の差が、個人別に大きく生じつつある事は、設備投資にも原因もあるが、魚種の減少特にブリの減少した事に左右され、憂慮すべき事には変わりはない。第十一節 網漁業 羽魚網 漁業には大きく分けて網漁法と、釣漁法に分類されようが、勝本漁民によって、昔より行われている網漁業には、羽魚網、イワシ網、サンマ網、アゴ...

詳細を見る>>

勝本浦郷土史82

勝本浦郷土史82少しているが、売値の高騰によって、数字的には保たれているのであろう。特に近年は、漁不漁の差が、個人別に大きく生じつつある事は、設備投資にも原因もあるが、魚種の減少特にブリの減少した事に左右され、憂慮すべき事には変わりはない。第十一節 網漁業 羽魚網 漁業には大きく分けて網漁法と、釣漁法に分類されようが、勝本漁民によって、昔より行われている網漁業には、羽魚網、イワシ網、サンマ網、アゴ...

詳細を見る>>

勝本浦郷土史81

勝本浦郷土史81少しているが、売値の高騰によって、数字的には保たれているのであろう。特に近年は、漁不漁の差が、個人別に大きく生じつつある事は、設備投資にも原因もあるが、魚種の減少特にブリの減少した事に左右され、憂慮すべき事には変わりはない。第十一節 網漁業 羽魚網 漁業には大きく分けて網漁法と、釣漁法に分類されようが、勝本漁民によって、昔より行われている網漁業には、羽魚網、イワシ網、サンマ網、アゴ...

詳細を見る>>

勝本浦郷土史80

勝本浦郷土史80第九節 製氷事業 勝本漁業組合が設立されるや、事業計画に基づいて、製氷所の建設を計画したが、港湾内には適当な場所がなかったので、湯田の浜に大きな浅い瀬があった。長四郎碑がその瀬の上に建ててあった。干潮時にはかなり海上に表出する瀬であった。その碑を他に移して、その瀬一帯を埋め、敷地約四〇〇坪を造成し、一日十トンの製氷所と、三〇〇トンの貯氷庫を、昭和十一年四月に建設し、漁業用の氷の安価...

詳細を見る>>

勝本浦郷土史79

勝本浦郷土史79反面、昭和五六年頃まで、盛況を続けていたブリ漁も近年とみに少なくなり、漁民を失望させている。このように漁民を取り巻く諸条件は憂慮され、漁業の盛衰と一体不可分の関係にある、信用部事業も貯金の伸びも次第に鈍化の傾向にある。こうした諸状勢の中に信用部は、使命を再認識して、今後経営の合理化につとめてゆかねばならないであろう。第八節 共同販売事業 組合設立と同時に、漁協の主幹事業である、共同...

詳細を見る>>

勝本浦郷土史78

勝本浦郷土史78営に悩んでいた。当組合も、資金の運営に困り、漁業者の水揚げ代金の支払いにも支障を来すようになった。従って、借入金に頼らざるを得なくなり、県信連、十八銀行、九州相互銀行、勝本農協等に依頼したが、各機関共に、組合の経営状態には警戒して貸付を渋り、申し訳的に僅かな金額しか貸さなかった。その当時、農協信用部は、三〇年の歴史を持っていた。貯金残高も郡内では一位であった。農協信用部がこのような...

詳細を見る>>

勝本浦郷土史77

勝本浦郷土史77十三年には船具漁具類の購買事業、石油類の共同販売事業、スルメの共同加工事業、十四年には、石油類購買部事務所の建設、水産倉庫の建設等、次々と組合員の要望に応えて、設備を充実していった。 又、昭和十三年には、運搬船の建造を計画した、その頃は夏いか釣りの、無動力船も数多くいた、その和船を魚場まで曳航したり、ときには救助船としての必要があり、共同曳船及び、救助船という名目で、県に申請して補...

詳細を見る>>