福岡市内からジェットフォイルで一時間程度の離島・【夢の島・壱岐】です。様々な素晴らしい素材を使った海産物、農産物など、あらゆる素晴らしいを全国の皆様にご提供できればと真剣に考えております。どうぞよろしくお願い致します。
先般の市議会議員選挙。人口減少(少子高齢化)が止まらない壱岐の島になんの夢があるのか立候補者は若い方が多く、当選した16人も夢の公約をどう果たすのだろう。政務交通費は出ないものの30万という報酬は壱岐では魅力だろう。市議全員に以前から聞きたいこと。「公約」を「どうやって」達成するか?の部分がない。
ただ本当に可能か?というと厳しいと思います。子どもが減って教育に力を(予算的にという意味で)?生産年齢人口は減り、子どもは島外へ(一度は島外に出たがいいと思います)。批判しても始まらない。市民はどう感じているか?諦めているでしょう。
僕にも一応、策はある。
僕は民間人として達成したい。
ひとりじゃ不可能。
友達全てが一緒にしてくれるわけはない。みんな自分の生活がある。
■雇用の創出
クラウドテレコール、またはクラウドコールセンター、レオパレス壱岐コールセンターとなんら被ることはない。オペレータは両方やってもいい。これは最終的に僕がやってもいいと思っている。壱岐には4~8ブース程度のミニマムであとは全国の在宅オペレータでも可能。拠点を一つ福岡市にほしい。
そもそも、レオパレスコールセンターは僕に言わせるとブロードバンド事務局、公共料金課の業務があったが公共料金課はコールセンター業務というより事務集約型センターで各店舗のひとりを集めた感じ。コールセンターというには首を捻る。だが企業、店舗としてはかなりのコストダウンだと思う。もうひとつのブロードバンド事務局がなくなったのなら、あそこにコールセンターはないと言っても過言ではない。もし、以前のエージェンシーへ戻ったのなら、高額。ということは市はかなりの助成を続けていた可能性がある。いや、間違いないと思います。
■一次産業の復活(就農、就漁)
これはJA、JFが外を知らず、情報を知らずというところが原因。JAは壱岐の農業しか知らず就農移住が結構盛んなことさえ知らなかった。「後継者が・・・。」、これはどこも同じ。これこそかの名高き「地域おこし協力隊」を使えばいい。勘違いしないでほしいのは僕が否定してきたのは「働かない地域おこし協力隊」でこれは行政側の受け入れ体制、知力・体力を含めたやる気と最終関門が甘い。そしてミッションへのモチベーション、それだけです。島内の新聞に壱岐で生まれ育って出ていき帰ってこられた女性のコメントが「仕事があるか心配でしたが、この制度を利用させてもらうことにしました。」島内ではいつの間にか「制度」になっています。
就農移住についてはご夫婦が多いですね。「子どもを田舎で育てたい。」、「子どものアレルギーを治したくて」また、また定年後のご夫婦など「家庭菜園より大きいところで農業をし、新鮮な野菜を食べたくて。お父さんが魚釣りも好きだし」
この方々は各地で実際にお会いした方々です。
漁業は最後に回します。
■子どもの教育及び子育て支援
は言わずもがなで、まず子どもを増やさないと始まらない子育て支援。
若い時、母が私に「壱岐に帰るのが嫌なら、女の子には壱岐という島に別荘を持ってるとでも言えばよかろうもん。」僕は笑うしかなかったです。と同時にそういう考え方をすればそうとも言えます。
ちょっと下世話な話になる。オスはメスが多くいるところに行く。これは紛れもない事実だと思います。人間も動物です。いくら草食系と言われる若者でも。
ということは女性が壱岐に来る仕組みを作ることは必須だと思っています。
こういうことなどを書くと「男女差別」だと噛み付いてくる方がいらっしゃいますが、僕は「男女区別」だと思っています。もともと役目が違うように作られたのが人間だと思ってます(LGBT、ジェンダーについては自分の中で理解度が浅いので書くのは控えさせていただきます)男女参画、クオーター制、女性活躍社会、当然の権利だと思います。ただ、無理やり政策も作れず数揃えのためにクオーターはいらないと思ってます。こういうものは突き破っていく人が必ず出てくる。それが本当の国力だと思います。壱岐では次世代だと思ってます。サッチャー、メルケル、何度も書いてますがメルケルは東ドイツ出身ですよ?
■推定5年で終わる勝本浦の漁業
最後の漁師の年齢が35歳、うちの裏に横付けしている子もそのくらいだ。
一度声をかけてみた。
私:「あんちゃん幾つない?(兄ちゃんいくつ?)」
彼:「オイ?あー、32。」
私:「若っかねぇ。マグロ釣りしよいとか?」
彼:首を数度横にふるだけだった。
私:「気張れよ」
彼:「おおきに」
若いですよね。32歳。時が経ってるから、ちょうど35くらい。
可愛そうですよね。仲間がいないって。
◆第一弾◆
①漁船購入
19トンまき網漁船一艘
19トンイカ釣り漁船一艘購入
新船は作れない。億を超えます。中古を購入、勝本では中古だと受給のバランスで1000万くらい。
資金は
・「しんぎょれん借り入れ」
・これこそ明確な目的の「補助金」
・クラウドファンディング
・投資家募集など。
貸借対照表、損益計算書作れます。財務諸表読めます。というか理解できます。だから商学部にいきました。日商簿記検定1級持ってます。
税理士であれば商学部卒であれば免除ですが、実益を取りました。というか簿記論などは落とせば卒業できないので。大学時代、学習した唯一の記憶です。
(今でも一年に一度は留年する夢を見ます。冷や汗かきながら目覚め、母の怒り狂った顔が浮かびます。)
※全くの余談ですが私が通った福岡大学は経済学部・商学部でゼミ対抗のソフトボール大会があります。私の年度は128チームでした。練習しようと言い出した奴がいたので、ショートとサードどっちしようかと行ったら。忘れてました。うちのゼミは福岡大大濠の野球部が6人。黙ってライトへ向かいました。決勝まで行き、1-6で敗けました。相手はピッチャー・広島商、サード鹿児島実、佐賀商、広陵、都城。
株式会社化します。乗組員には給料支給という給料制にします。勝本浦の19トンイカ釣り漁船の失敗の一因として勝本浦の19トンイカ釣り漁船は全歩合です。
例えば5人で乗り組みます。親子、若い衆3人、1,000万の水揚げだとすると船5、人ひとりが1、とすると船頭親子に700万、若い衆3人に100万。確かに船を造り提供してるとはいえ、これじゃあ船をおります。バブルが終わり降りた人は多い。私の一つ上の世代までどんどん23、4歳で19トンイカ釣り漁船の乗組員は降りていった。私の従兄弟もです。ある日突然連絡があり、「拓也、船降りた。博多行くけん。よろしゅう」、「了解」で会話は終わりしばらくすると大学時代のアパートに来ました。用意していた合鍵を渡しました。
※大学3年まで下宿、4年でようやく念願の1Kの賃貸アパート
彼らは逞しい。
A:「今度はどうすいない(どうする)?」
B:「そうねぇ」
何を言ってるのかじっと聞いていた。
A:「オイが壱岐高にすいけん、われ壱岐商にせれ」
B:「了~解」
あんたら中卒やん!!
②乗組員募集
優先順位は
・壱岐の人(勝本浦にはもうこだわりません)。
・日本人
・就漁移住
・外国人
・地域おこし協力隊
肝心要の漁については19トンイカ釣り漁船は教えてくれると信じている勝本浦の方(疑念はありますが)
問題はまき網漁船。
何のために私が全国各地漁協にまで行っているのか?いろいろ学ぶこと、情報収集といざというときに土下座するためです。
義弟も食品商社の水産部門です。
諸々の行政の条件はあるだろうが、世の中「強引」という言葉もあります。
まき網漁を根付かせたいのです。
儲ければ近づいて来るのが勝本浦の人間です。
この2006年の一度が勝本浦の漁業を間違った方向へ舵を切ってしまったのかもしれません。
【壱岐の象徴・猿岩】
【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】