天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

どうぞ、食を文化をご堪能ください

福岡市内からジェットフォイルで一時間程度の離島・【夢の島・壱岐】です。様々な素晴らしい素材を使った海産物、農産物など、あらゆる素晴らしいを全国の皆様にご提供できればと真剣に考えております。どうぞよろしくお願い致します。

なぜそこまで?

帰郷

2014年11月末だったか、12月だったと思います。
福岡県福岡市から実家(長崎県壱岐市勝本町勝本浦)に帰って来ました。
しばらくゆっくりしようと思い壱岐巡りなどを車で。
ほぼ国道382号線しか利用していなかった母。高校のバス通学にしても同じでほぼ同じ風景、一度帰省した時に友達に指定したところに連れて行ってもらうも名前も知らず、わからない土地が多く、いかに勝本町勝本浦の人間が郷ノ浦町(盈科小学校地区)にしか行ってないという事実。そこにはパチンコ屋があり、ボウリング場(現・ドラッグストアモリ)、飲食店。
私が25歳くらいだったと思います。ダイエー(現・イオン)が参入、これに対し郷ノ浦商工会が猛烈に反対していたという話を聞いたことも。確かに郷ノ浦商店街にとっては売上減の危機がどれほどあるのか?という不安と怒りがあったでしょう。市町村合併前だけに猶更、敵対し、分断を生んだでしょう。当時は壱岐郡郷ノ浦町、芦辺町、石田町、勝本町と分れてたので敵対心は強かったでしょう。

2004年(平成16年)に平成の大合併で壱岐市となり、市民は市民になるということがどういうことかわからなかったんだと思います。行政さんは大わらわだったんじゃないでしょうか。母は2001年11月に勝本漁協を定年退職しておりましたが、定期的に起こる壱岐市内漁協合併の話。ことごとく拒む勝本漁協。当然でしょう。
まだこの頃は巨大な漁協であり、組合員数、漁船数、水揚げ高、漁協信用部(金融部門)、どの部門に関してもほぼ長崎県下一であり、利益部門も運用損益は抜きにして他町の漁協とは比較にならないという当時の状況で、全漁協が合併すれば、勝本漁協の利益を全部吐き出さないといけないかもしれないという他漁協の財務体質だったようです。
結構知らない方もいらっしゃいますが、壱岐でこの町だけ民間銀行がありません。十八親和銀行(旧・十八銀行、旧・親和銀行)が郷ノ浦町、石田町、芦辺町には存在します。それほど勝本漁協信用部が大きかったのと排他的、言葉の壁もあったと思います。8年前、友人(当時、漁師)に言うと「知らんやった」と驚いてました。8年前、僕らは45歳です。

また、漁師町特有かどうかはわかりませんが、我々の親世代はほぼ自動車の運転免許証を持ちません。うちの両親は持ってました。
だから帰省した時なんかは、顔は見たことあるが誰か知らないおっさんを乗せて目的地まで連れて行ったこともちょくちょくあります。
実際、並び立つ家々一軒一軒、聞いて見てもほぼ「持たん!」という返事が返ってくるでしょう。

一番マグロで変わった漁師たち?

皆さんも耳に挟んだことがあるかと思いますが、築地(現・豊洲)の祝いの初競り。 

歴代・一番マグロ

「産地」 に並ぶ「青森県大間産」という文字、大間ブランドの証。といって大間という漁師町が潤っているか?というとさにあらず、恐らくこの年末にかけてのマグロに勝負をかけている。というのも一番マグロが終わり一ヶ月もすると驚くように価格は急降下。それ以降はまたこの一番マグロの時期までほぼ価格は上がらず、苦しい時期を過ごされます。で、一番マグロを釣った方はいいとして、何年も釣れない人は何を釣っているのか?マグロ、ブリ、イカ、ウニなど。ここでいうマグロは「シビ」が正しいと思います。これは私でも見たことがあります。
この魚もマグロ規制の中に入っています。だからマグロと標記することが多いです。
大学二年の正月に友達が釣って、親父さんが捌いて「ここがマグロのトロたい」と切って10人ほど集まった男(漁師含む)たちが、一切れに群がりました。
美味しかったです。

大間のマグロと勝本のマグロとどっちが美味しい?と聞かれれば即、「大間」と答えます。なぜ?「寒いから」、それだけです。勝本の漁師が「素晴らしい」と言われる所以は、マグロを仕留める最後の一刺し。銛で脳髄を刺して息の根を止めます。この最後の一刺しは寸分の狂いもなく刺すそうです。大間さん、他産地のマグロは刺すのが一定でなく暴れて身が崩れたりで釣った魚が値落ちすることが多いそうです。これは長々と引き継がれた漁師の曽祖父、祖父、父、本人と一本釣りは技術が受け継がれていきます。だから、釣る漁師の子どもはやがて腕のいい漁師となり、勝本浦でも「誰?」、「あ~、そうやろう」とおばちゃんたちも頷きます。



上記の表の2006年、長崎県壱岐産と一度だけ一番マグロになってます。他年も一番じゃなくてもいい価格(ご祝儀相場)で買われてます。 
会社でYahoo!トピックス!に出てきて椅子から落ちそうになりました。すぐ漁協の従兄に電話しました。釣った奴を聞くと頷きました。当時は喜びました。
しかし、これが勝本浦の漁師たちを二分するように景気のいい船、悪い船に分かれていき、そもそもマグロの一本釣りを始めたのは一番マグロの数年前、マグロが釣れたから「マグロがいる」ということから端を発し始まったのです。確かに短期間に成長し、大間に視察に行ったりで漁協も乗ったのです。聞く人によれば「昔からおったよ。」、年間通じてを考えてという方もいれば、走り出したら止まらないのが目の前にぶら下がった「大金という魚」。
私はマグロはまた来ると楽観視してます。なんのために「回遊魚」と呼ばれるのか?大間には現れ、勝本町に来ないと考えるのはいかがなものかと。

 

 危険な仕事

 

大きさがわかりにくいと思いますが、彼はおそらく身長187、8cm はあると思います。
彼のお爺さんが「魚釣り」が上手だったみたいです。先に書いたような一子相伝とは言わないまでも。
彼は遊漁船を始めたみたいです。

壱岐の遊漁船・五郎丸

料金の高さにちょっと驚きましたが、漁協の同級生に聞いたら「それ以上の漁獲高があったけんやろう。ばってん、お客さん多かよ」と。ここにも現れる消費者を見てない価格設定。昔からの課題、消費者の目線に立つことはない。規則的に漁業者が駄目なんじゃないか?とも思いましたが、先陣切って道を作ればあとができる。まさに高村光太郎の道程「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」だと思います。

「イカ釣り」はまた違い「どれだけ気張るか?無茶するか(よくない表現ですが)?」
19トンイカ釣り漁船は2000年代に入っても60艘いたそうです。現在、20艘ほど。また、出漁しない。若い船頭が出漁しない。若い船頭とは要は僕ら世代から上下5歳ほど、以前は浜田沖(中型船も)、金沢沖、小樽沖まで5月から年末まで行ってましたが、今は数艘。コスパだのなんだの理屈は一人前です。行ってみないとわからないのに。どこかの船が大漁だったら次の日は出漁するらしいです。

19トンイカ釣り漁船
4トン~7トン漁船

これでマグロを釣り上げるんだから、一本釣りの人たちも凄いなと思ったりします。

 

 

僕の従兄(ただの乗組員)が乗ってた19トンイカ釣り漁船は一番漁でおそらく憶を超えていたと思います。数艘いると思われる億を超える水揚げ。分配がどうみてもおかしいという方々もいました。船頭、機関長、乗組員3名の場合、仮に漁獲高1000万円だとすると船が500万、あとは5人で100万ずつ。これが息子が乗組員の場合だと一家に700万円という計算。若い奴は今考えれば奴隷のようでした。12等分じゃないからたくさんもらった気になりますが、年収400万以下。私の従兄も15歳から乗ってましたが、小樽沖に「三角波」というのがあるらしく、イカ釣りのサンパーを一気に巻き上げて逃げるらしいのですが、救命胴衣つけたままだったらしいです。もの静かな男が「あそこだけはいきたくない」と年上ながら弱音を吐くというか、19トンイカ釣り漁船は理不尽で従兄は船頭さんの機嫌が悪い時は布団を船から捨てられらたみたいです。怒るのはいつもうちの母でした。確定申告の件で母が突っ込んだ時は「怒鳴り散らされらた」みたいです。あとで謝りに来られたそうですが。

まあ、余計な話ですが、従兄は3人兄弟の長男で母がまだうちに嫁ぐ前に産まれて、母が可愛がり、うちに嫁いだ後もほぼ毎日、「あっこ姉ちゃん、ご飯できたよ」とうちに呼びに来てたらしいですから。

給料制の話は上がってましたね。19トン船の方からも先を見据えてこのままじゃ誰もいなくなる、と。結局、理事さんたちも(たくさん袖の下が膨らんだ方々)、ずっと勝本浦にいなかった私でもわかります。いらっしゃるんですけどね。聡明な方も、正論を論じられる方も。しかし、世の中、そう言った方々って表に出るのを嫌がったり、「○○伯母さんのお爺さんは組合長やったとよ」、「■■ちゃんのお父さんはずっと理事やった」などなど。私の友人の親父さん、(お爺さんは組合長で町会議員)はずっと断ってらっしゃいました。


友人に尋ねると「わからん。自分の考えは絶対曲げんよ。」現在、81歳が漁に出てらっしゃいます。片目は見えないそうです。友人の弟が実家に住んでるので「降りさせたら?流石に片目は危なかろうもん」というと「拓ちゃん、わかろう?言うたよ、一応。聞くわけない」、そこの家の近くの同級生は「もうちょっと船は小まか方がよかろうね。今度話しちもうかね。」と。これが船団。いわゆる鹿の下東船団・コミュニティのようなもので、うちは結構、機能してますね。
同じ船団内でも釣れた場所の反対方向を教えたりするらしいですから。そんなことしてなんになるのかわからないですが。800近くの社長(個人事業主)が全て纏まるわけがない。
またある船団は、数人で養殖の魚を掬い上げ、競りに出すという暴挙に。競り師は一発でわかります。恥ずかしい限りですが、こういったことを含めて勝本浦です。

福岡などで話すと驚かれるんですが、うちの隣とその隣は海難事故、うちの斜め右も海難事故。隣の隣は最初に19トン船を作り挑戦された方です。
「拓ボン、どら」と言って抱っこしてもらった記憶があります。「漁師が畳の上で死んだらつまらん」とよく仰ってたと母が言ってました。
隣は息子さんが自動運転で寝て目が覚めたらお父さんがいらしゃらなく、さすがに動揺したみたいであらゆる船に無線で探すよう頼んだみたいですが。

総じて漁協から見てて(○○丸、出航と確認してますから業務として危険回避など)「好天なのに船がでない」傾向が強くなってるのは漁協職員が一番詳しいでしょう。だから5年ほど前に起きたクルーズ船事故で漁協職員が出漁可能の旗を建てるわけはなく。
4つの町が一自治体・壱岐市となり、「勝本がよくなるように」から「壱岐市がよくなるように」と2万5000人の人々が向かうか?どこの市町村合併と同じように旧町の為に、という気持ちは皆さん同じで、こんな私のような者でも市議選にと、仰ってくださった方も勝本町、他町からですがいらっしゃいました。勝本町の方は「この廃れた勝本の為に」、他町の方は「現体制を変える」というような私怨のような感じも。確かにやってることは、どこも変わらず独裁というか、県政、国政と繋がりは隠せないような。当時の市議も一緒で「すみません。1vs16で喧嘩するほど馬鹿じゃないんで。」と。

ただ、今日も漁業のことばかり書いていますが、いい意味での諦め?なのか数年前からフラットに見れるようになり、自分の中で漁業と農業の垣根はなくなってます。企業体として壱岐市に、包括的にJA、JFを巻き込んで。JAは鼻息は荒いそうですが、後継者不足をつけばブランド化されてる「壱岐メロン」、「壱岐牛」など商品がなくなる。メロンも作った途端に「ふるさと納税枠」に。牛も即、「ふるさと納税枠」に。一体、コンシューマーからカスタマーへなる前に買えないという状況、一体、何をしたいのか?市が目指している方向もわからず、そもそも長崎県が何を考えているかみえない。

 

 何をしたいのか?なぜそこまで拘るのか?

よく福岡の方、他県の方々、など「なんで、そんなに固執するのか?」と異常と見えたんだと思います。私自身も自分の島に対する思いと行動を不思議に思いました。それはいろんなところに住んでるいろんな方々と知り合うたびにその街を独立できる自治体にという考えることが癖づいてました。
しかし、その自己満足の「グランドデザイナー」的な形で壱岐を考えていましたが、そこが原動力でもない。決して美談にするつもりはありません。昔の写真をiPhoneで写メってました。
すると途中で親父が出てきました。

「あ~。」と思いました。ここがなくなれば「私と親父の接点がなくなる」。親父は小学校1年生の時に亡くしたのですが、怖くて優しい親父が好きでした。私が育っていく中で街で「みたことあるような、ないようなおっちゃん」と会ったりすると「おっ、恵んちゃんの息子さんじゃなかで?」、「うん」、そこからいろいろ親父のことを話してくださいました。そういう方が結構いらっしゃり、「へぇ~、親父って尊敬されてたんだ」と変な自分の中の親父が大きくなっていきました。おふくろから聞く親父は割り引きます。マイナスなことは言わないから。私の同級生の親父さんたちは親父より年が若いため、ほぼ知らない。私の親父と世代が違う感じで、親が同級生というのは私は成り立ちませんでした。

親父自身も母子家庭であり、この島をでることを夢見てたみたいです(実際に27歳まで福岡にいたみたいです)。私は一人だと結構泣きます。その時、頭に浮かぶのはおふくろには申し訳ないですが「親父」の比率が高いですね。
「親父なら形は違えど私が行ってることを理解できるし、理解してくれる」と。
正確に言えば「親父のために島を残したい」とかではなく「私と親父が数年ですが一緒に過ごした空間を壊したくない。失くしたくない。」というのが答えだと思います。
そして、私にとって二人で写った写真もなく家族4人の写真もない。このことは小学校の頃、正直、寂しかったですね。

この島が頑張っても政令指定都市、中核市のような街になれるとは思ってなく「壱岐(生き)続ける島」であればいいと考えていて。自分の中に今は言わないですが、二つの案があります。それを成し遂げるのが壱岐に対する想いです。

それ以外は、困ってる街・困ってくるだろう街(そこに住んでる方々には気づきにくい)が九州には数多、そういった街の活性化に参加させて頂ければと思ってます。
また、こればかりは「ご縁」というものが大変必要だと思ってます。

主役はあくまでもそこに住まう方々です。そこを皆さんが気付けば簡単ですよ。
自分の街を好きなんであれば。
 




 



 

壱岐メロン

 

壱岐メロン

 

壱岐焼酎
壱岐焼酎

 

 

 

 





 




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社