天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

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福岡県・大野城市20170307

大野城市役所

基本情報
住所:〒816-8510 福岡県大野城市曙町二丁目2-1
電話:092-501-2211




【Official site】

大野城市
大野城市(おおのじょうし)は、福岡県中西部の筑紫地域に位置する市である。

地理
市域はひょうたん型で細長く、市の中心部の幅は約1kmしかない。 福岡市の南東隣に位置しており、同市のベッドタウンとなっている。市域中央部を鹿児島本線、および西鉄天神大牟田線が並行して貫く。北部は国道3号などの幹線道路が通っており、福岡都市高速道路沿いには、事業所の立地が多い。北部と南部は山がちな地形だが、新旧の住宅地が展開している。南部の牛頸山(うしくびやま)にある牛頸ダムからは牛頸川の流れが発し、下大利団地などの脇を流れる御笠川と合流するまで市域を湾曲して流れている。

隣接する自治体・行政区
福岡市(博多区)
春日市 - 大野城市役所と春日市役所との距離は1km弱である。
太宰府市
筑紫野市
糟屋郡宇美町
筑紫郡那珂川町
※大野城市は全ての筑紫地域の市町と接している。

地名
大野村~大野町の時点で以下の大字が存在した。
牛頚
乙金
上大利
瓦田
雑餉隈(1956年廃止)
下大利(1984年廃止)
白木原
筒井(現在は廃止)

仲島(1979年廃止)
畑詰(現在は廃止)
山田(現在は廃止)
1956年以降、順次町名設置・住居表示が行われている。
曙町1丁目~3丁目(1956年、瓦田・筒井より発足)
栄町1丁目~3丁目(1956年、雑餉隈より発足)
雑餉隈町1丁目~5丁目(1956年、雑餉隈より発足)
錦町1丁目~4丁目(1956年、雑餉隈・瓦田・筒井より発足)
瑞穂町1丁目~4丁目(1956年、瓦田より発足)
乙金台1丁目~3丁目(2丁目までは1966年、のちに3丁目(年不詳)も乙金より発足)
南ヶ丘1丁目~7丁目(4丁目までが1969年、10丁目までが1970年、14丁目までが1974年に牛頚・上大利より発足し、最も多い時期で14丁目まで存在したが、どのようにして現在の7丁目までになったか不詳)
平野台1丁目~4丁目(1974年、牛頚より発足)
つつじヶ丘1丁目~6丁目(3丁目までは1975年、のちに4丁目以降も(年不詳)牛頚より発足)
仲畑1丁目~4丁目(1979年、仲島・畑詰より発足)
緑ヶ丘1丁目~4丁目(1980年、牛頚・上大利より発足)
大池1丁目~2丁目(1982年、乙金・瓦田・中・筒井より発足)
大城1丁目~5丁目(4丁目までは1982年、のちに5丁目(年不詳)も乙金・瓦田より発足)
乙金1丁目~3丁目(1丁目は1982年、のちに2丁目以降(年不詳)も乙金より発足)
川久保1丁目~3丁目(1982年、乙金・中より発足)
下大利団地(1982年、下大利より発足)
筒井1丁目~5丁目(3丁目までは1982年、のちに4丁目以降(年不詳)も筒井より発足)
御笠川1丁目~6丁目(1982年、畑詰・山田・中・筒井・瓦田より発足)
山田1丁目~5丁目(4丁目までは1983年、のちに5丁目(年不詳)も山田より発足)
下大利1丁目~5丁目(1984年、下大利より発足)
中央1丁目~2丁目(1984年、上大利・下大利・白木原より発足)
東大利1丁目~4丁目(1984年、下大利・白木原より発足)
上大利1丁目~5丁目(3丁目までは1985年、のちに4丁目以降(年不詳)も上大利より発足)
紫台(1985年、牛頚・上大利より発足)
瓦田1丁目~5丁目(3丁目までは1986年、のちに4丁目以降(年不詳)も瓦田より発足)
白木原1丁目~5丁目(1986年、白木原より発足)
旭ヶ丘1丁目~2丁目(上大利より発足)
牛頚1丁目~4丁目(牛頚より発足)
乙金東1丁目~4丁目(乙金より発足)
月の浦1丁目~5丁目(牛頚より発足)
中1丁目~3丁目(中より発足)
畑ケ坂1丁目~2丁目(牛頚より発足)
宮野台(牛頚より発足)
横峰1丁目~2丁目(牛頚より発足)
若草1丁目~4丁目(牛頚より発足)
南大利1丁目~2丁目(2006年、上大利より発足)
平田台1丁目・3丁目・4丁目・6丁目(2006年、上大利より発足。2011年、春日市に編入され消滅)

歴史

原始、古代

市内各所で遺跡が発掘されている。 663年(天智2年)、白村江の戦いで日本が大敗したのち、665年(天智4年)、天智天皇の命令により、現在の市域内にあたる大野山(現在の四王寺山)に百済人・憶礼福留と四比福夫の設計による古代山城である大野城(おおののき)を築城し、大宰府防衛を図った。

近現代
第二次世界大戦中は福岡市から当時の大野村に疎開する者が居た。大野町に町制後、福岡市に隣接し幹線道路や鉄道が通るなど好立地だったこともあり、昭和30年代から昭和40年代にかけて人口急増に拍車をかけベットタウン化が進んだ。その一方で、終戦後から1972年頃まで鹿児島本線の線路を跨いだ本市の一部と隣接する春日市に在日米軍基地が存在した。(詳しくは白木原駅#駅周辺)を参照。市制施行前は元々「大野町」という地名であったが、1972年の市制施行にあたり福井県に大野市が存在していたため「大野市」とすることができず、この城の名にちなんだ「大野城市」という市名にした。現在でも福岡市のベッドタウンとして、人口は年々増加傾向にある。
1889年4月1日 - 町村制施行により御笠郡大野村として発足。
1896年4月1日 - 那珂郡・席田郡(むしろだ ぐん)・御笠郡の三郡を統合して筑紫郡が発足。筑紫郡大野村となる。
1921年3月3日 - 水城跡が特別史跡に指定される。
1950年10月1日 - 町制施行し、筑紫郡大野町となる。
1952年3月31日 - 大野城跡が特別史跡に指定される。
1972年4月1日 - 市制施行、即日市名改称し大野城市となる。
2007年1月1日 - 春日市と境界変更。
2011年3月1日 - 春日市と境界変更。
2012年10月28日 - 市制施行40周年にともないギネス世界記録挑戦などの記念事業が行われ、同年12月に認定された。
2016年8月18日 - 人口10万人に達する。
隣接する春日市と同様、市町村制度発足以来一度も市町村合併を経験していない(ただし、境界変更は経験している)。




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社