天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

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勝本浦郷土史80

勝本浦郷土史80

第九節 製氷事業
 勝本漁業組合が設立されるや、事業計画に基づいて、製氷所の建設を計画したが、港湾内には適当な場所がなかったので、湯田の浜に大きな浅い瀬があった。長四郎碑がその瀬の上に建ててあった。干潮時にはかなり海上に表出する瀬であった。その碑を他に移して、その瀬一帯を埋め、敷地約四〇〇坪を造成し、一日十トンの製氷所と、三〇〇トンの貯氷庫を、昭和十一年四月に建設し、漁業用の氷の安価をはかった。それまでは、漁業用の氷は、福岡、唐津方面より、運搬船にて搬入していた。これによって、販売事業特に、銅付事業に多大な貢献をしたのであるが、日支事変に次いで、太平洋戦争が激烈となり、漁船の数も減少もしたが、燃料の石油もなくなり、製氷事業も休業せざるを得なくなった。戦時中の遊休施設は、軍部より徵用される懸念があると、県より注意を受け、止むなく昭和二〇年三月、長崎県北松浦郡漁協に売却した。その後、長らく製氷事業は行われず、昭和四三年、現在の十五トン第一製氷工場が出来るまで、不自由な時代が続いた。

第一製氷所
 先に昭和十一年に、湯田の浜の瀬を利用して埋立工事を行い、十トンの製氷所と、四〇トンの貯氷庫を建設したが、都合により売却した為に、戦後においては、非常な不自由な時代が続いた。組合としても以前のように、氷は福岡、唐津より鮮魚運搬船にて仕入れていた。その結果、氷も配分回数も、割当制にする等、漁民にとっては、大変不便であった。その頃は、漁船数も四三〇隻を数え、漁船も大型化して、イカ等の水揚げが増加し、氷の需要が多くなった為、構造改善事業により、製氷所を建設する事になった。場所は以前の湯田の浜の埋立地とし、昭和四三年九月に着工して、翌四四年三月三一日完成した。
 製氷能力は、日産十五トン製氷、貯氷能力四五〇トン、面積四一六平方米、総事業費三、八八〇万円、内国庫補助金六三二万円、県補助金四二一万円、町費補助金五一〇万円、自己負担金二、三一七万円である。

第二製氷所(改め第一製氷所)
 四三年製氷所建設当時の漁船勢力に比べ、漁船数も五〇年には六三五隻と殖え続け、船型も漁業近代化により大型化して、漁場も沿岸より沖合へと進出する船が多くなり、従って漁獲量も倍加していった。また、流通面でも魚価を上げるには、鮮度の保持が重視された。勝本漁協においても、昭和四三年には、五トン以上のイカ漁船が六五であったが、四七年には、二〇四隻と三倍以上の増加率となった。中央突堤も四七年に完成し、汽船の接岸も九郵が着岸できないという事で、漁業組合の拠点とすべく、国県の許可もできた事から、中央突堤の先端を候補地として、昭和四九年度構造改善事業として、第二製氷所の建設に四九年より着工して、五〇年三月に完成した。製氷機種は、近代的な製氷機と評価されている。石川県漁連のノースター砕氷機を設備した。製氷能力日産四五トン、製氷貯氷能力一八〇トン、面積三八九平方米である。

第三製氷所(改め第二製氷所)
 昭和四四年、第一製氷所、日産十五トンを、旧製氷所跡に再建して、昭和五〇年に第二製氷所を、中央突堤突端に、日産四五トン製氷所を建設、計六〇トンの製氷能力になったが、ブリの不漁によるイカ漁の激増、漁船の大型化による氷の需要も大きく伸び、又、第一製氷所と第二製氷所が離れていることから、氷の受渡し等に不便であることから、昭和六三年三月、全自動式日産四五トンを、中央突堤東側に建設した。第二製氷所と併せて、日産九〇トン製氷能力となった。従って第一製氷所は閉鎖し、第二製氷所が第一製氷所となり、新設された製氷所を、第二製氷所と呼称するようになったのである。

第十節 漁業協同組合事務所・荷捌所漁村センター中央突堤に完成
 勝本漁協創立以来、最も画期的又有効的な建設事業は、九郵の接岸施設として築造された、築出の中央突堤に、幸か不幸は別として、九郵が汽船を接岸出来ないと拒絶された為に、全面的に漁協の使用が可能となった。棚からボタ餅とは、この事であろう。定期船が寄港するかしないかは、勝本町民挙げての活性化の素因でもあった為に、町理事者も議会としても、又商工会、公民館連合会も、定期船の接岸に懸命の努力が続けられたが、結局は八〇年の歴史に終局を告げて、事実上閉港となった。これは今後町民の損失を余儀なくされる結果となったが、勝本の基幹産業である漁業者の為には、大きな福音ともなったのである。当時としては、町の一大事業であり、町理事者、議会のこの中央突堤に対する期待は大きく、県及び国に対して、度重なる要望、陳情して、認められたものである。九郵にも接岸を強く要望する間に、昭




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社