夢の島からの贈り物

福岡市内からジェットフォイルで一時間程度の離島・【夢の島・壱岐】です。様々な素晴らしい素材を使った海産物、製菓など、あらゆる素晴らしいを全国の皆様にご提供できればと真剣に考えております。どうぞよろしくお願い致します。

天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

どうぞ、食を文化をご堪能ください
【ごあいさつ】

自然豊かな食をあなたのテーブルに

玄界灘に浮かぶ夢の島・壱岐、その北部に位置する勝本町で穫れた新鮮な魚、海士が獲った新鮮なムラサキウニを販売している方の商品を通信販売という手段を使い、様々な方にお届けしたいと思い立ちホームページを起ち上げました。

この自然豊かな九州、長崎県壱岐市から全国の食卓へ安全な食をお届けできればと願っております。

現在、まだ出店者は2社でございますが、いいモノを見つけ、更に安心してお届けできる食を増やしていく所存でございます。


何卒、どうぞ、よろしくお願い致します。


    
 
 選ばれました!!


島の象徴【猿岩】

ホームページ運営管理者
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〒811-5501 長崎県壱岐市勝本町勝本浦356
TEL:090-1343-7993
代表 立石拓也

 

勝本浦郷土史

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勝本浦郷土史35

勝本浦郷土史35 第四節 田の浦捕鯨納屋 田の浦は昔捕鯨基地として有名であったが、捕鯨がなくなってしてからは、塩谷部落の勢力が伸びて、現在では田の浦としての部落名はなくなった。すべてが塩谷公民館の傘下となっている。田の浦は浜田ともいうとあるが、今日では浜田の地名を知っている者はほとんどいない。田の浦の捕鯨納屋...

勝本浦郷土史31

勝本浦郷土史31第十章 勝本の浦づくり 第一節 概要 勝本浦は壱岐郡ではもちろん、県下でも最大の漁業部落である。勝本に初めてきた人は、先ず漁船の多いのに驚くのである。塩谷から仲折を経て外港まで海岸線三・二キロに亘り、見渡す限り漁船でぎっしり埋め尽くして、その数約六五〇隻である。山裾を掘り崩して、又海岸を埋めて...

勝本浦郷土史30

勝本浦郷土史30第三節 気象 壱岐の気候は概ね海洋性気候であって、北西部を流れる対馬暖流の影響をうけて、冬季も比較的暖かである。夏季は南西風が多く、冬は北西風が多い。春一番と俗にいわれるが、こうした冬から春先の季節の移り変わりの時季に、最初に吹く強い南風の呼称である。壱岐郡郷ノ浦町元居の漁民が、古くより言い伝...

勝本浦郷土史29

勝本浦郷土史29第三節 気象 壱岐の気候は概ね海洋性気候であって、北西部を流れる対馬暖流の影響をうけて、冬季も比較的暖かである。夏季は南西風が多く、冬は北西風が多い。春一番と俗にいわれるが、こうした冬から春先の季節の移り変わりの時季に、最初に吹く強い南風の呼称である。壱岐郡郷ノ浦町元居の漁民が、古くより言い伝...

勝本浦郷土史28

勝本浦郷土史28第二節 地形 地形 勝本町壱岐の北端に位置し、北韓三三度五一分、東経一二九度四一分のところに在り、面積は三〇四平方キロである。勝本浦は勝本町の最北端に位置して、東部は東触仲触に接し、中部は西戸触に接し、西部は坂本触に接続している。塩谷は仲触になっているが、漁業専業であるために、平素の諸行事は浦...

勝本浦郷土史27

勝本浦郷土史27第九章 地誌と人口 風本頌※1詩 ※1頌の公の上に「一」がある。 神功の后は、東風の吹かん事を、 ひたすらに神に祈りて、祈願成就し、 この地を風本と名付けたりと。 長安の都に、危険を冒して、使したる遣唐使も、 大陸の高く優れし文化を学ばんと、 幾度かこの地を経て、唐国に渡りたる。 遥かに東国よ...

勝本浦郷土史26

勝本浦郷土史26地命寺 印鑰神社の前の石段登りつめた所に、地命寺という寺がある。香椎村郷土誌に、仏閣名妙峰山地命寺、宗派真言宗、位置地命寺坂、本尊地蔵菩薩、本寺は神岳山末寺である。神岳帳にいう、本浦地命寺開基は知らず、一にいう寺本尊地蔵、家敷畑一舛、隆信公の御判あり、一にいう地命寺神岳附法相続、第一世、橋件師...

勝本浦郷土史25

勝本浦郷土史25志賀山能満寺 風土記に記す、当寺は本来比丘尼所、筑前博多より比丘尼来て始めて寺を造立す。開山昌牧尼、その弟子昌廓比丘尼以上二代にして比丘尼相終所也。其後比丘尼所空所にして、これある故、神岳山十八世頼辨法印、前肥州隆信公の御時、彼寺申請、真言宗開起、始めて寺屋敷の御判申請者也。其前判寺にあらざる...

勝本浦郷土史24

勝本浦郷土史24第二節 寺堂神皇寺 明治初年まで正村には神皇寺という、かなり知られた寺があった事を今日知っている人は少ない。神皇寺は龍宮寺の名で呼ばれた時代もあったが、実際の仏閣名は聖母山神皇寺である。 お寺は寺名の上に山号がある、たとえば勝本町にある寺の名を挙げると、能満寺は以前志賀山にあった頃は、志賀山能...

勝本浦郷土史23

勝本浦郷土史23皇大神宮(川尻) 川尻の毘沙門堂の右道路を隔てて、皇天神宮が昭和の中頃まであった。 由緒等については、文久元年(一八六一)刊行の壱岐名勝図誌にも社名がないところから、今より一三〇年以後に建立された神社である。二間に二間の小社であったが、石の鳥居もあったし、毎年の例祭には境内に相撲等も催され、出...

勝本浦郷土史22

勝本浦郷土史22図誌に志賀大明神在志賀山、祭神三少童神、御殿辰向、去本社南三町、拝殿梁九尺、桁二間、瓦葺、境内従三一間、横二六間、周囲四百二四間、当社は始め社なし、(始めは社なしとあるから、御殿造立前は祠があったものと考えられる)万治二年(一六五九)巳亥三月八日造立する所なりと記されてある。今より約三三五年前...

勝本浦郷土史21

勝本浦郷土史21勝本に神職を置く(壱岐郷土史) 壱岐郷土史には次の如く記してある。勝本に神職を置くとして、寛永四年(一六二七)国主命じて、「壱岐神社頭梁吉野氏をして勝本に居らしむ。」勝本は対馬朝鮮及び九州中国地方との交通の要津たれば、兹に神職を居らしむるの必要なる当時の状態としては免れざりし所ならん。吉野氏の...

勝本浦郷土史20

勝本浦郷土史20英国船勝本に入港測量する 文久一年(一八一八)八月一日、英国船が測量のため、勝本港に入港しているが、これに対する記録が、壱岐国史に記されているが、当時浦民も驚いたであろう。 「神奈県より長崎、箱館への海路は暗礁等多く、是迄度々破船有之、難儀に候由にて、今度英国より測量の儀申立、人命にも拘り候儀...

勝本浦郷土史19

勝本浦郷土史19第七章 徳川時代の壱岐及び勝本の警備押役所を置く 壱岐郷土史に延宝八年(一六八〇)勝本に押役所を置くとあり、松浦藩は領内各地に押役所を設けた。壱岐北部の勝本港にも、外地の朝鮮及び対馬に対する警備のため、延宝八年(一六八〇)六月坂本触六二番地、現在川尻の裏山に位置するところの、現長峰氏宅の所に、...

勝本浦郷土史18

勝本浦郷土史18 永取家の蔵書 水取家には鯨に関する書画陶器等あるが、その中から次の書を記す。 永取家の苗字目錄、紙本墨一六・〇㎝×四六㎝。 元治元年 子甲 永取 五月吉日 白文方印 元治元年(一八六四)平戸藩主松浦家が、原田家に鯨が永く取れるようにと「永取」の苗字を与えた。それを記念して書き記し...

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