天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

どうぞ、食を文化をご堪能ください

福岡市内からジェットフォイルで一時間程度の離島・【夢の島・壱岐】です。様々な素晴らしい素材を使った海産物、農産物など、あらゆる素晴らしいを全国の皆様にご提供できればと真剣に考えております。どうぞよろしくお願い致します。

勝本浦郷土史

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勝本浦郷土史154

勝本浦郷土史154 八日 五五 五五年イルカ追込捕獲数三回、一二六頭。 五五 漁協は事務合理化のため、コンピューターを導入。 五五 五 長崎地裁において、ケイトを懲役六カ月、執行猶予三年の判決あり。 五五 一二 勝本漁協は、勝本漁業史二、〇〇〇部を刊行する。 五六 一 冷蔵庫一三〇トン完成、事業費九、〇五八千円。 五六 四月迄 五六年度イルカ追込捕獲数六回、一七九頭。 五六 六 漁業振興対策協議会...

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勝本浦郷土史153

勝本浦郷土史153 八日 五五 五五年イルカ追込捕獲数三回、一二六頭。 五五 漁協は事務合理化のため、コンピューターを導入。 五五 五 長崎地裁において、ケイトを懲役六カ月、執行猶予三年の判決あり。 五五 一二 勝本漁協は、勝本漁業史二、〇〇〇部を刊行する。 五六 一 冷蔵庫一三〇トン完成、事業費九、〇五八千円。 五六 四月迄 五六年度イルカ追込捕獲数六回、一七九頭。 五六 六 漁業振興対策協議会...

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勝本浦郷土史152

勝本浦郷土史152五一 昭和四六年頃まで、ブリ漁とイカ漁は漁獲高は相半していたが、昭和五一年頃から続くブリ漁の不漁のため、イカ漁が量的、金額的に優位となった。 五一 五 カレイ釣組合結成、漁法の向上とカレイ値の安定をはかる。 五一 太地漁協よりイルカ追込熟練者数名招聘、実習指導をうける。 五一 四月 流し網によるイルカ捕獲の試験操業を実施したが、効果あがらず。 五一 四月 イルカ追込で始めて一二頭...

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勝本浦郷土史151

勝本浦郷土史151天然記念物に指定されている、海浜植物群落は有名である。 串山には昭和五三年造成された串山海水浴場がある。陸続きで車にて行ける事から、又串山も近年レジャー施設が多くなされている事から、夏の海水浴利用者も多くなっている。辰の島浴場開きと同日に、串山の海水浴場開きも現地で行われている。お盆行事(簡素化) 勝本のお盆は終戦前は旧暦七月十三日より十六日であったが、近年では新暦の八月十三日よ...

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勝本浦郷土史150

勝本浦郷土史150 千万円を以て、平成四年四月十四日改築せられ、同時頃に大師堂参拝道も整備され、角力場の上屋も完成した。釈迦如来降誕祭(現存) 旧暦四月八日は、お釈迦様の降誕祭である。釈迦降誕祭には、その立像に香水をそそぎかける儀式が行われる。仏典に釈迦の誕生の時、香水で洗浴したと記されているのにもとづくものである。 仏生会、降誕会、龍華会、浴仏会ともいわれる。日本では普通花祭りと呼ばれている。能...

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勝本浦郷土史149

勝本浦郷土史149神は商家農家漁家も土間(庭)にクド(竃※1)が設けられていた。神聖なる火の神竃※1神が荒神で、家の象徴として信仰されていた事は、民俗史上に著しく普及していた。乃ち荒神祓いは、火の神竃※1の神を祀る行事であると記されている。今日では生活様式の変化で、土間も竃※1も皆無となり、竃※1神の地位も著しく低下し、又盲目者の生活の糧の存在であった師の坊も、お互いの生活の保障されるようになり、...

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勝本浦郷土史148

勝本浦郷土史148 も決まったように家族中の新しい下駄が並ぶ。下駄は正月には必ず新調される物とされていた。当時も雨が降るとぬかるみになるので、下駄は生活必需品であった。一月ー二月 神社参拝 朝暗い中に起きてお雑煮を食べて新しい下駄を履いて神社に参り、家内安全、海上安全、大漁を祈念する人も多かったが、近年では神社に参拝する人も少なくなったようである。新年の挨拶廻り 壱岐では年賀状の交換が遅かったので...

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勝本浦郷土史147

勝本浦郷土史147壱岐における観光客の数は、実数は把握し難い実状である。航路には海空路があるが、海路にしても乗客名簿に観光、私用、公用と書くようになっているが、実際には書く人は少ないので、実際の観光客の数を知る事は至難である。ホテル、旅館、民宿を調べる事はできるが、他の親類縁者の家に泊まる客も多く調査し難い。この統計では、大体における観光者の統計を記したものに過ぎない。実数は把握し難いが、多くの資...

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勝本浦郷土史146

勝本浦郷土史146 【長崎県壱岐市の概要】 壱岐市 壱岐市(いきし)は、長崎県の壱岐島を主な行政区域とする市である。壱岐振興局の所在地。地理 2017年5月11日撮影。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。 壱岐島は九州本土の福岡市から北西に約80km、佐賀県北端部の東松浦半島から北北西に約20kmの玄界灘上に位置する離島である。北西の海上に対馬が位置している。壱...

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勝本浦郷土史145

勝本浦郷土史145 百々手が明治九年(一八七六)今より一一五年前となる。 こうして調査して見ると勝本の百々手講の始まりは、明治の当初頃からあった事が判る。塩谷を調査したが他の講は多くあるが、百々手講はなかったようである。当時は塩谷は浦部ではなかったからであろうか。多くの行事が生活改善の名のもとに改められつつある中で、一〇〇年余連綿として続いて伝統を守り続けてきた百々手講は、内容が何であれ悪鬼を打払...

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勝本浦郷土史144

勝本浦郷土史144 も決まったように家族中の新しい下駄が並ぶ。下駄は正月には必ず新調される物とされていた。当時も雨が降るとぬかるみになるので、下駄は生活必需品であった。一月ー二月 神社参拝 朝暗い中に起きてお雑煮を食べて新しい下駄を履いて神社に参り、家内安全、海上安全、大漁を祈念する人も多かったが、近年では神社に参拝する人も少なくなったようである。新年の挨拶廻り 壱岐では年賀状の交換が遅かったので...

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勝本浦郷土史143

勝本浦郷土史143 壱岐における観光客の数は、実数は把握し難い実状である。航路には海空路があるが、海路にしても乗客名簿に観光、私用、公用と書くようになっているが、実際には書く人は少ないので、実際の観光客の数を知る事は至難である。ホテル、旅館、民宿を調べる事はできるが、他の親類縁者の家に泊まる客も多く調査し難い。この統計では、大体における観光者の統計を記したものに過ぎない。実数は把握し難いが、多くの...

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勝本浦郷土史142

勝本浦郷土史142 勝本町が他町村にさきがけて、体育娯楽、観光を兼ねてゴルフ場を計画したのは、昭和五六年であった。ゴルフ場は多くの土地を必要とする事から、土地の買収は容易でなかった。又建設について、運営についても、議会も慎重に検討し、先進地の視察等して研究し、五七年四月、土地の買収については町が行い、建設並びに運営については、第三セクター方式で進める事を確認した。 五八年十月、株式会社壱岐カントリ...

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勝本浦郷土史141

勝本浦郷土史141重要な事である。 又二〇〇年余続いて盛況を極め、勝本漁民に生活の恩恵を与えた、過去の鯨組についても知る人は少ない。和歌山県の勝浦では、東洋一といわれる程の鯨の博物館と、イルカの大掛かりな曲芸を組み合わせて、大繁昌しているが、離島では惜しいかな、採算性はない。こうした歴史的事実と優れた観光の宝庫である。離島で大きな施設を随所に造ることは、財政的にも運営上にも、容易な事ではないが、こ...

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勝本浦郷土史140

勝本浦郷土史140は低調であるといえよう。水産物の加工は、その原料の生産と不可分の関係にある。勝本浦の漁業は、近年一本釣りに徹し、網漁業がほとんど行われない事に原因するところが多い。往年においては別紙に記しているように、イワシもイカも大量に加工された時代もあり、アワビ、ナマコも昭和初年までは、生産され加工されていた。又鱶鰭は羽魚網盛漁時代は多く加工され、ナマコと共に、中国料理にはなくてはならない物...

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