天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

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勝本浦郷土史94

勝本浦郷土史94

  

 

  四一 昭和三〇年頃から、イルカの被害、漁民間に間題となり、一〇年間いろいろと手を尽くし失敗したが、本年イルカ追込船団結成される。
   四一 五 勝本浦にスピーカーを取り付け、組合の放送事項等をその都度漁民に伝えるため、有線放送施設を設置する。
   四一 七 捲き落し組合設立、三船団三六隻参加。(初代組合長 小畑清)
   四一 湯の本漁港整備計画により、埋立地に勝本漁協湯の本支所設置。
   四一 一二 手長島漁場において、定置網事業開始。
   四二 二 総代会において一五トン以上を、特殊船と認める事を決定。
   四二 三 婦人部倉庫建設、平家建三二・五坪。
   四二 三 静岡県伊東市富戸漁協より、追込技術者を招聘して、壱岐北松方面の現地調査と、追込実施指導を実施したが、失敗に終わった。
   四二 九 活魚運搬船鋼鉄船、第一、第二壱漁丸(四九トン)二〇〇馬力を、壱岐漁協協同にて建造、活魚を京阪神に出荷を目的としたが、採算に合わず、四一年勝本漁協と箱崎漁協が各一隻宛引き受け、勝本漁協では鮮魚運搬、遭難救助船に利用した。
   四三 一二月 出漁中の漁船がイルカ回避のため漁をやめ、漁場より直接郷ノ浦に直行し、壱岐支庁にイルカ対策の陳情を行った。
      六日
   四三 六 イルカ追込船団を解散して、イルカ捕獲船団委員会発足する。
   四三 三 仲折に給油施設整備、計量器一式完備、事業費三、一二三千円。
   四三 特殊船一号末吉丸続いて、日の出金比羅丸、島本清勝丸進水。
   四四 三 勝本漁協第一製氷所竣工、事業費三六、四二〇千円。
   四四 この年より特殊船(一五トン以上)荒天時の沖止め対象外となる。
   四五 一 シンガポール貨物船ホーチュントレラ号(四、八六〇トン)、本宮山下磯崎に漂着して座礁大破、多量の重油流失し、多く損害をうける。
   四五 三 イルカ捕獲船(捕鯨砲装備)勝漁丸進水、専門捕鯨に従事する。
   四五 五 原田徳衛、勝本漁業協同組合長となる。
   四五 六 一〇隻の船団が始めて県外金沢大野港を基地として操業する。
   四五 四二年から四五年はブリの大漁が続き、浦中活気を呈する。
   四六 三 壱岐郡漁協協同出資で、壱岐製函工場建設。
   四六 この頃から勝本漁船に、強化プラスチック漁船建造される。
   四七 寿楽荘(長島邸)を買い受け、漁協信用部建設敷地とする。
   四七 天ヶ原に漁船の上架施設、造船用地護岸七〇米を設備。
   四八 筒方地区漁港整備事業着工。
   四八 三 海岸局施設設置、無線局機器一式完備。
   四八 五 名鳥島を禁漁区に設定。四八ー五〇年まで七里ヶ曽根において餌付事業を行ったが欠損金を出して中止した。
   四八 九月 特殊船末吉丸、新潟県佐渡沖で遭難、四名全員死亡する。
      一一日
   四八 一二 石油ショックによる総需要抑制策により、燃油の高騰により、漁業経費大幅に増大する。
   四九 四 勝本町は、公金取扱事務を十八銀行より、漁協信用部に指定変更。
   四九 五 香椎仁一郎、勝本漁業協同組合長となる。
   四九 六 黒瀬に信用部事務所及び、漁民センター竣工。事業費(四九、三二五千円)
   四九 六 仲折弁天崎に上架施設、造船所、鉄工所等施設完成する。
   四九 六 仲折に二〇〇トンタンク一基設置。
   四九 六 当局の指導もあって、勝本漁協青色申告会発足。
   五〇 三 浦海湾を湯の本漁港の分港として指定をうける。
   五〇 三 第二製氷所を中央突堤先端に建設、日産四五トン、貯水能力一八〇トン。
   五〇 四 勝本町は漁村という性格上、水産商工課を新設する。
   五一 二 天ヶ原シケン滝長瀬沖に、上漁協ブリ定置網を開始したが、種々の悪条件が重なり、利益をあげる事ができず、五四年に閉鎖した。




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社