天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

どうぞ、食を文化をご堪能ください

福岡市内からジェットフォイルで一時間程度の離島・【夢の島・壱岐】です。様々な素晴らしい素材を使った海産物、農産物など、あらゆる素晴らしいを全国の皆様にご提供できればと真剣に考えております。どうぞよろしくお願い致します。

【壱岐あるある(勝本浦)】

【壱岐あるある(勝本浦)】

この島には17の小学校がある(僕ら世代は18校)人数らく半分以下。
なぜ?複式学級が功を奏し、そのままにしているそうである。
この17の小学校ごとに小さなコミュニティが形成されていて16の地区が通常の若干は違えど相通ずるものがある。
残り1地区は我が漁師町勝本町勝本浦。我々だけ方言じゃなく言語が違う島で言う「勝本弁(勝本小学校)」である。他地域の奴らはわからないと言う。いわゆる「壱州弁」、最近では「壱岐弁」私の記憶にこの呼び方はなかった。おそらく行政の観光イベントなんかで無理やり作られた気がする。「壱岐弁」については、最近の子たちが「自分たちの言葉」として名づけよう的な文章を見た。
私ら勝本浦は勝本弁が壱岐の共通語として信じて堂々と疑いもしない。たとえ1vs16でも。おふくろは珍しく私の曾祖母が厳しく世間でいう標準語しか話せなかったらしく、曾祖母が亡くなったら勝本弁。そりゃそうだろう。学校へ行けば勝本弁だらけだから。
なぜ?江戸中期~明治初期まで鯨組というのがあり、鯨漁で江戸で言う「宵越しの金は持たねぇ」の勢いで凄い活気だったらしく京都から買い付けに来ていて往来があったらしく、生意気に京都の芸妓さんを呼んでいたらしい。
その名残りの代表的なものが「おおきに」と「かんにん」である。
ただ、もっと複雑にしてるのは「名詞的」に使う場合がある。これは説明できない勝本浦特有のものである。

地図の青マーカーが勝本浦である。
写真は鯨の供養塔である。この場所は永鳥組という鯨漁の代表的な家系である。

勝本弁地区(勝本町勝本浦)
 
鯨供養塔(現・永鳥組)

 【勝本町勝本浦・辰の島遊覧】


【勝本町勝本浦】


 




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社