天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

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宮崎県(日南市)・五百祀(いおし)神社

20160218 宮崎県(日南市)・五百祀(いおし)神社

古めかしく、奥床しいという佇まいの神社だよね。

確か飫肥って、薩摩藩とは違ってたから、今でも宮崎県内でも、都城地区はちょっと人柄というか、感覚が違うと聞いた

ことがある。


基本情報
住所:〒889-2514 宮崎県日南市楠原
電話:0987-31-0606

【Official site】











御祭神:大山津見神(おおやまつみのかみ) 伊東家祖先累代之

五百祀神社〔五百禩神社〕(いおし神社) 06五百祀神社〔五百禩神社〕(いおし神社)の前身となる旧報恩寺は、飫肥藩初代藩主伊東祐兵公(報恩公)のために建立された寺です。江戸時代には、飫肥三大寺の一つとして、寺禄百石の伊東家菩薩寺でした。
明治5年に廃仏毀釈によって廃寺となり、その跡地に五百祀神社〔五百禩神社〕が建てられました。本殿が完成したのは明治9年(1876年)4月9日で、明治37年(1904年)には幣殿及び渡殿を改築しています。
五百祀神社〔五百禩神社〕の「五百祀」とは、伊東祐持が西都の都於郡に城を構えてから、最後の藩主伊東祐相まで535年経ていたため、500年祀るという意味で名付けたと言われています。

現在は神社となっていますが、庭園は、旧報恩寺の庭園として作庭されたと考えられています。山の斜面に三連の石橋を架けるという意匠は大変珍しく、日本の庭園史上でも注目されています。この庭園は、大正時代に飫肥で活躍した庭師 田嶋万之助が手を入れたと伝えられています。

平成22年(2010年)9月10日には、本殿他4件が国の登録有形文化財(建造物)となりました。
 旧報恩寺が伊藤家菩提寺であったことから、神社本殿の背後には伊藤家累代墓地と小村寿太郎墓、伊東左門家、旧報恩寺住持の墓などがあります。また、隣接する台地上には西南戦争戦没者墓地があります。

本殿
境内の西奥に位置し、東面して建つ。三間社流造、桟瓦葺。正側面に擬宝珠高欄付の縁をまわす。方柱で、直接に桁を受け、妻は豕叉首とする。内部は板敷で、後方に壇を設ける。建ちの高い外観になり、装飾を抑えた清冽な社殿である。 

神楽殿 拝殿
本殿の前方に拝殿と神楽殿が続く。神楽殿は一間向拝付の入母屋造で、桁行三間梁間二間、周囲に縁をまわす。拝殿は神楽殿後方に突出する切妻造桁行三間の建物で、いずれも方柱で、板敷。拝殿背後には渡殿をさらに付設する。整備された礼拝空間を構成する。




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社