天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

どうぞ、食を文化をご堪能ください

福岡市内からジェットフォイルで一時間程度の離島・【夢の島・壱岐】です。様々な素晴らしい素材を使った海産物、農産物など、あらゆる素晴らしいを全国の皆様にご提供できればと真剣に考えております。どうぞよろしくお願い致します。

鹿児島市・薩摩川内市20161026

薩摩川内市役所

基本情報
所在地:〒895-8650 鹿児島県薩摩川内市神田町3番22号
電話:0996-23-5111


薩摩川内市
薩摩川内市(さつませんだいし)は、鹿児島県の北西に位置する市。
鹿児島県内で最大の面積の市であり、北薩地区の中心都市である。

地理

下甑島沖にあるナポレオン岩
本土側は鹿児島県のやや北西部、鹿児島市の北西約40kmの場所に広がる川内平野のほぼ全域を市域としており、市域の西側は東シナ海に面している。本市の中心市街地は本土側市域の西部にあるが、海沿いではなく、海岸から10kmほど内陸に入った場所にある。本土側市域を東西に流れる川内川は九州で2番目の流域面積を持つ一級河川である。市域東部には2005年11月8日にラムサール条約に登録された藺牟田池がある。
本土から西側約40kmの東シナ海上に浮かぶ甑島列島も全域が薩摩川内市の市域に含まれる。 甑島は国定公園に登録された。 正しい読み方は 「こしきじま」から「こしきしま」へと変更された。しかし、地元住民からは「こしきじま」という読み方のままで呼ばれている。 また、薩摩川内市の陸の玄関でもある川内駅周辺は新幹線開通の影響もあり、高層マンションが建てられたり、全国チェーンの店の出店が相次いでいる

隣接している自治体
鹿児島市
霧島市
出水市
日置市
いちき串木野市
阿久根市
姶良市
薩摩郡さつま町

歴史
古来より薩摩国分寺の所在地であるなど県内でも早期から中央政権の影響下にあった地域である。江戸時代には島津氏(薩摩藩)の支配下となった。

近現代
1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、現在の市域にあたる以下の町村が発足。当初は(甑島列島・東郷を除き)薩摩藩の行政区域「郷(外城)」を継承していた。
薩摩郡隈之城村・高江村・永利村・平佐村・上東郷村・下東郷村・樋脇村・入来村
高城郡高城村・水引村(後に東水引村・西水引村へ分割)
南伊佐郡大村・黒木村・藺牟田村
甑島郡上甑村(後に里村が分立)・下甑村
1896年(明治29年)3月29日 郡制施行により高城郡・南伊佐郡・甑島郡を薩摩郡に編入。
1929年(昭和4年)5月20日 【新設合併・町制施行】隈之城村・平佐村・東水引村→川内町
1933年(昭和8年)7月1日 【改称】西水引村→水引村
1940年(昭和15年)2月11日 【市制施行】川内町→川内市
この日は皇紀2600年の紀元節だった。
1940年(昭和15年)11月10日 【町制施行】樋脇村→樋脇町
1948年(昭和23年)10月1日 【町制施行】入来村→入来町
1949年(昭和24年)2月1日 【分立】大村→中津川村(薩摩町を経てさつま町の一部)
1949年(昭和24年)4月1日 【分立】下甑村→鹿島村
1951年(昭和26年)4月1日 【編入】水引村→川内市
1952年(昭和27年)12月1日 【町制施行・改称】上東郷村→東郷町
1955年(昭和30年)4月1日 【新設合併・町制施行】大村・黒木村・藺牟田村→祁答院町
1956年(昭和31年)9月30日 【編入】永利村・高江村→川内市
1957年(昭和32年)4月1日 【分割編入】下東郷村→川内市・高城村・東郷町
1960年(昭和35年)1月1日 【町制施行】高城村→高城町
1965年(昭和40年)4月15日 【編入】高城町→川内市
2004年(平成16年)10月12日 【新設合併・市制施行】川内市・樋脇町・入来町・東郷町・祁答院町・里村・上甑村・下甑村・鹿島村→薩摩川内市

薩摩川内市名称決定までの経緯とその後
平成の大合併が全国で進展するなか、鹿児島県北西部でも市町村合併に向けた動きが本格化した。当初、2市4町4村(川内市・串木野市および薩摩郡の樋脇町・入来町・東郷町・祁答院町・里村・上甑村・下甑村・鹿島村)による合併が目指され、2002年10月これら市町村の加盟による川西薩地区任意合併協議会が設置された。同協議会で合併に向けた話合いが進められた結果、下甑村を除く2市4町3村が合併実現の協議を本格化することに合意し、2002年12月25日、川西薩地区法定合併協議会が設置された。同協議会では引き続き、合併協定項目・合併の期日・合併の方式・新市の事務所の位置・新市の名称など重要案件が審議された。
このうち、新市の名称については合併予定市町村の住民から公募を行ったが、この際、各自治体の対立を防ぐため旧市町村名は使用しないものとされていた。2市4町3村のうち川内市が半数の人口を擁しており、川内市の名称を使用することが順当であるように考えられたが、合計9つもの多数の自治体の合併でもあり、川内市が名称にこだわりすぎれば他の自治体、特に川内に次ぐ人口を擁する串木野市の合併への意欲を削ぎかねないと懸念されたためである。



 




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社