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島の象徴【猿岩】

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代表 立石拓也

 

行政はもう『地域活性化』に関わらない方がいい

大学に関しては何も言うことはないというか、格差は昔からあったし、仕送りの面で東京行きを諦めた自分もいる。

地方創生に関しては、本来、市民が主役にならないといけないのに市民のやる気にも問題がある。

いわば補助金漬けである。

行政も本来関わる必要はない。

後方支援が役目、それが成り立っている自治体もある。

ところが何を勘違いしたか、民間がぶら下がってる自治体が多いのが現状、商売したことがなく、利益が上がらなくても責任は取らなくていいわけだから。

官民一体なんてありえないと思ってる。

わが市に限っては粛清すべきだと思ってる。

島内で一番大きな企業が市役所だなんてあり得ない。

税金を納める側より徴収する側多いとも考えられるわけだから。
もちろん、職員も納税の義務はあるけどね。


以下、今井照氏文章引用
■前提を間違えた「大学立地規制」

なぜ日本では諸外国にないスピードで高齢化が進行するのか。その要因は、前回記事で述べたように、2000年前後の国政の失敗にあります。ところが、国はいまもなお同じような過ちをくり返しています。その一つが「地方創生」と呼ばれる地域活性化策です。地域や自治体はこうした国の動きにどのように立ち向かえばよいのか。今回はそれを考えていきます。

文部科学省は9月29日、東京23区における大学の新設や定員増を今後2年間認めないという告示を出しました。全国知事会長らが6月30日に出した緊急声明やその直前の閣議決定に基づく措置です。これに対して、東京都の知事や都議会は猛反発し、規制緩和論者たちは「保護主義」だと批判しています。

しかし、私の考えでは、どちらの立場も問題の所在やその構造を見誤っています。双方ともに前提としているのは、若年世代が東京圏に集中することで地方圏の人口減少が進んでいるという「東京一極集中」の認識です。片方はそれに対して否定的であり、片方は肯定的であるということになります。ところが、その前提はまったく疑わしい。



それまでは大量の社会減(県外転出数と県外転入数との差)を自然増で埋めていたので、人口減少が目立たなかった。ところが、自然減が始まったために、にわかに人口減少問題がクローズアップされるようになってきたのです。社会減は続いていますが、かつてと比べればはるかに少なくなっている。

大学立地規制を進める立場も批判する立場も、こうした構造が見えてないのではないかと思います。60年代から70年代までの知識と経験のままにとどまっているのです。

秋田県だけが特別なのではなくて、地方圏ではおおむねこのような傾向にあります。自然減が始まる時期には早い遅いがありますが、今後のトレンドは全国どこでもほぼ同じです。若年世代が東京圏に集中することで地方圏の人口減少が進んでいるという前提がそもそも間違っているから、人口減少対策として大学立地を規制するという的はずれな政策が出てくるわけです。

■実は、地方圏の大学生は増えている

【図2】は、大学生の数を東京圏(埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県)と非東京圏とに分けてみたものです。



80年代から2000年代まで、意外にも東京圏以外の大学生が大きく増えている。東京圏と地方圏の学生の割合もみても、同時期はやはり地方圏が拡大していて、2000年以降も同じ水準を保っています。このグラフから、地方圏の人口減少問題と東京圏の大学の学生数には相関関係がないことが明らかです。

こうした現象は、別の深刻な問題を引き起こします。


こうした現象は、別の深刻な問題を引き起こします。
もちろん、このこと自体が大きな問題なのではありません。【図3】はつまり、東京圏出身者が大学時代に地方出身者と接触する度合いが減ったことを示しているのですが、そのことが教育上、あるいは人格形成上、どの程度の影響を及ぼすかまではわからない。

また、国家公務員総合職に合格して国の政策づくりにコミットする人たちに、東京圏出身者が増えることになると思われますが、そのことで国の立案する地域政策が劣化するとまでは言えません。ただし、直感的にはそういうことがあってもおかしくないと思います。


地域によって大学進学率に差がある理由として、容易に想像できるのは収入の差です。地域ごとの収入を説明する統計として、1人当たりの雇用者報酬がよく使われるので、その推移を【図5】で見てみましょう(雇用者報酬の推計方法は全国一律ではなく、年度によっても変化するので、厳密に正確な推移を表しているものではありません)




関東地方や近畿地方が相対的に高く、その他の地域はほぼ似たようなカーブを描いている。北海道・東北や九州と比べて、関東や近畿は2割程度、雇用者報酬が高いのがわかります。関東から東京都だけを切り出してみると、非大都市圏の各地方と比べて3割以上も高い。

これらの図からわかることを端的にまとめると、次のように言えるでしょう。

2000年代に入ってから、東京圏の高校生と非大都市圏の高校生とのあいだで大学進学率の差が広がり始め、それが固定化された。その結果、いまや非大都市圏の高校生は東京圏の大学に進学しづらい環境になっている。そうした事態にもかかわらず、国は非大都市圏の高校生が東京圏の大学に進学するのを阻害する政策を強化している、と。

その象徴が、これから2年間、東京23区内での大学の新増設を原則認めないという政策です。これでは機会の格差がますます広がることになり、結果的に地域の衰退を促進することになる。問題の所在や構造を見誤った国の政策が、まったくの逆効果を生み出しているのです。

■自治体を苦しめる「計画策定」業務
9月8日、内閣府に置かれている地方分権改革有識者会議で、兵庫県多可町の戸田善規町長(当時)が発言し、国から日々求められる調査・照会事項や、法律などで半ば義務化される計画の策定が、市町村の行政執行を阻害している現実を訴えました。これが「地方分権」の実態です。

たとえば、2016年4月に施行された改正自殺対策基本法では、市町村が「自殺対策計画」を策定することになりました。同法の法文は「(自殺対策計画を)定めるものとする」としているので、これは市町村の義務になっている。

もちろん自殺対策は重要だし、このことに異を唱えるつもりはありません。しかし、どんな市町村にも一律に計画策定を義務づけるやり方で、自殺防止にどれだけの効果があるのか。邪推すれば、国の責任を市町村に転嫁しているのではないかとも見えます。

実はこういう計画策定が最近、目立って増えているのです。これらが市町村の行政能力を超えてしまうと、計画策定を外部のコンサルタントに丸投げしたり、定型的な計画を作文して国への「おつき合い」を果たし、それで済ますことになります。

もちろん、そんなのはおかしい、と批判することはできますが、現実に国から「地方分権」の名のもとに新しい計画づくりが次から次へと降りかかってくれば、市町村としてはそのように対応するしかないでしょう。

第一回の記事で書いたように、自治体の財政破たんは、「地域活性化」と称する国からの事業誘導を真に受けて始めてしまうことから起こるケースが多いのです。むしろ国の言うがままにならず、地域やその住民の実状に向き合って真摯に対応してきた自治体こそ、まちづくりの結果を出しています。

安倍晋三首相が国会で「地方創生」の成功事例としてあげた市町村は、国策に反して市町村合併をしなかったところばかりです。逆に、国に誘導されて合併したせいで議会や役場がなくなり、周縁部化した地域が寂れていく事例は全国に数多く存在します。

もちろん「地域活性化」は重要です。でもそれは、他所から何かをもってくれば成功するというものではない。むしろ、余分なことに投資をすれば、地域社会を崩壊させてしまうリスクが高まるだけなのです。

サッカーにたとえれば、自治体はあくまでも地域社会や市民生活のディフェンダーです。今日の生活を明日も同じようにくり返すことができるようにするのが最大の使命なのです。現代サッカーではディフェンダーも攻撃の起点であることが求められますから、試合の流れのなかで、フォワードである企業活動、市民活動、地域金融機関などにパスをくり出すことはあるでしょう。

しかしそうであっても、サッカーと同じように、守備を崩壊させては元も子もありません。失敗しても何度もチャレンジするフォワードであるより、器用なミッドフィルダーであるより、まずは堅固なディフェンダーであれ――市民は自治体に対してそういう期待を持つべきではないでしょうか。
 

★壱岐の新鮮アジと甘塩ウニ★