天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

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勝本浦郷土史77

勝本浦郷土史77

十三年には船具漁具類の購買事業、石油類の共同販売事業、スルメの共同加工事業、十四年には、石油類購買部事務所の建設、水産倉庫の建設等、次々と組合員の要望に応えて、設備を充実していった。
 又、昭和十三年には、運搬船の建造を計画した、その頃は夏いか釣りの、無動力船も数多くいた、その和船を魚場まで曳航したり、ときには救助船としての必要があり、共同曳船及び、救助船という名目で、県に申請して補助を受けた。
 昭和十三年十二月着工、十四年四月進水、しかし昭和十八年太平洋戦争激化中に、軍部より徵用をうけ、南方へ航行中、台湾付近で爆撃をうけ、沈没したのである。乗組員の平田鶴太郎船長外、四名が戦死された。
 漁業協同組合設立以来、急速に種々の事業を開始し、順調な経営を続け、事業も進展しつつあった。しかし十六年より、太平洋戦争に発展し、世相も一変した。戦争により、召集徵用等、多数の青壮年者は、戦場に出て行き、漁業者はほとんど老齢者のみとなった。従って漁船の大半は、売却する等して、勝本の漁業の様相も変転したのである。
 昭和十九年に、国家総動員法の発令となり、勝本漁協にも、昭和十九年五月解散命令が発令せられ、保証責任勝本漁業協同組合は解散した。

勝本町漁業会となる
 昭和十九年度に、漁業協同組合解散されるや、早速漁業会組織の指令が出された。漁業会結成の計画は、早急に行われ、十九年六月に設立し、総会が開催された。七月に認可され、八月に登記を完了し、国家総動員法に基づいて、大政翼賛政治による、国への協力機関として、勝本漁業会は発足した。役員は全員(官選となり、)会長には勝本町長吉田覺太郎、理事に町助役永元久造、漁民側より立石幸吉、平畑福次郎、松尾常太郎の三氏が任命された。
 昭和二〇年、八月戦争は集結し、召集徴用に出て行った組合員も、徐々に帰郷し、漁業に従事したが、漁船は少なく、中古船等を探し求めての出漁である。その上漁具はもとより、燃料その他の資材も不足し、困難な時代であった。漁業会としても、事業以外に、国の指令によって、物品の配給機関として、漁業用資材はもちろん、其他衣程品、日用品まで配給していたのである。あらゆる物質は欠乏し闇取引が横行した。特に引揚者は住むに家なく、働くに職なく、仕方なくするめいか、ブリ等の魚を、福岡等に警察の目を逃れて、二倍三倍の値に売って闇商売をして、生活する者が多かった。
 ブリ二、三本かくして福岡まで、往復運賃を払っても、どうにか貧しい生活を支えて行くことができた。その位に都会の物質は欠乏したのである。お金はあっても品物が無いのである。
 漁業会としても集荷した魚を、公定価格で売っても、組合員の利益は僅かである、闇値を知っている組合員の不平不満に、漁業会としても仕方なく、横流しして少しでも多くの利益を得ようとした。組合の共販体制も崩れ、船で直接福岡まで持って行く者が、多くなったからでもある。
 仕方なく組合としても、闇値にて仲介業者と取引して、計算方法は一度公定価格で仕切り、闇値の差額は、出荷奨励金の名目で、後で総代を通じて支払ったりした。闇値で売買した事が発覚して、組合長は何度も警察に呼び出され、留置されて取り調べを受けた事もあったという。

充電所の設置
 漁船の集魚灯は、昔は薪を金網に乗せて焚いていたが、それが石油ランプになり、大正の中期頃よりガスランプを使用するようになった。ガスランプは昭和二〇年頃まで続いた。終戦後バッテリーが普及した、バッテリーを充電する店も、勝本で二、三軒あっだが、漁業会で充電所の設置の要望が強く、充電事業を設置することになり、建物は名鳥島の旧兵舎の払い下げをうけて、仲折の弁天西側に設置した。昭和二三年事業を開始し、順調に経営していたが、昭和三〇年頃より、集魚灯として発電機が導入され、各船に急速に発電機を揺えつけるようになったので、昭和三二年充電所は閉鎖された。

漁業協同組合として再発足
 昭和二四年、勝本漁業会にも、ついに解散指令が出され、再度漁業協同組合が設立される事となった。漁業会としても、直ちに整理に着手して、精算委員会を設け、余剰金は組合員に配分する事にして、その配分金は、組合員としての出資金に充当した。続いて協同組合の設立委員会を結成して、委員長には、村川幸平氏を推薦した。昭和二四年八月十一日、漁業協同組合設立総会を開催、組合長に平畑福次郎を選出し、茲に勝本町漁業協同組合は再発足した。同年八月三一日、県水産指令、第二三九四号をもって、認可され、十月十日には登記を完了し、十七日に第一回出資払込みを完了した。出資一口の金額を五〇〇円で




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社