天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

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勝本浦郷土史121

勝本浦郷土史120

漁協婦人部
 終戦後の昭和二二年、婦人会が結成され、支部会においては、会合の度に、戦争にて疲弊した、漁村の生活の立て直しを如何にすべきか、真剣な話題として討議されていた。婦人の地位向上と共に、生活改善は、いつの時代といえども、婦人会の話題の中心であった。特に浦部に於いては、過去においては不漁に備えての、貯蓄の観念に乏しく、漁師の一把捌きと、今日でも語り伝えられるように、漁があると贅沢をして、漁がないときは、借り食いする傾向が多かった。これは今日のような、優秀な動力船で漁をするのでなく、槽を漕いで七里ヶ曽根まで漁に出る、板子一枚下は地獄という観念が強かった為、漁師の一荷捌きの観念が、自然の中に培われたのであろう。こうした考え方が古くから根づいて、長く定着したのである。中には漁師でも、可成り金を貯えている人もあったようである。よく働いて心掛けのよい人であったのである。その頃、漁業組合の運営も容易ではなかった。青年部、婦人部の力を借りなければ、組合運営の再生の方途は見出せなかったと言っても、過言ではない程に、行き詰まっていた。支庁や、県漁連、壱岐出張所や町当局の婦人部結成の奨めと指導により、昭和二七年二月十五日、阿田スガさんを初代部長として、勝本町婦人漁村協同組合(後に漁協婦人部と改称)として、浦部に十七支部、部員約三〇〇名を以て、目的達成をめざして、力強く結成されたのである。婦人漁村協同組合の規約の目的について、次のように記されている。「この組合は組合員が連絡協調して、相互の教養を高め、生活を改善して、漁業協同組合の発展を促し、以て漁村経済の向上を計る事を目的とするとある。」この中にすべてが言い尽くされている。特に婦人漁村協同組合の設立の目的が、当時の漁業協同組合の発展を促すと

いう、強い表現がなされている。これを見ても、当時の漁業組合の状態を察知する事ができると共に、当時の組合が、婦人部に期待する事が多く、当時の婦人部幹部の意気を感ずる。規約の全容については、都合により省略するが、事業計画としては、預貯金を勧誘する事によって、貯蓄心を涵養しようとした。これは二九年漁協信用部開設と、その後の信用部の運営に大きく貢献したばかりでなく、各漁家の貯蓄心の涵養に、計り知れない一大変革をもたらしたといっても過言ではない。

婦人部の生活改善によって貯蓄心高まる
 生活改善のためには、冠婚葬祭に必要な貸衣装、料理講習会、特にイルカを食用として宣伝する為の料理の研究、月給制の導入も、新しい試みとして、一時定着したかに見えたが、理由は別として廃止されたが、月給制になると、家計簿の記帳が必要となり、無謀な出費は出来る限り押さえるようになり、今迄の漁民の一把捌きの思想は、ほとんどなくなった。その他、日用生活品の共同販売も、多種多様に及んだ。こうして代々の会長によって、いろいろな事業が押し進められて来たが、特筆される事は、貯蓄運動の推進による、信用部に対する寄与と、するめ加工の推進であろう。貯蓄運動の推進には、貯金の勧誘、月掛貯金、天引貯金、定期貯金、普通預金等であって、少しでも貯番心を涵養しようとした。一日一〇円の日掛貯金、箱を抱えて毎日各家を廻る婦人の情景は、今でも思い出す。こうした婦人部の地道な努力によって、勝本漁協信用部の預金高も県下一となり、組合の運営にも大きく貢献し、漁家の漁船の建造、その他の融資にも大きく寄与できる、信用部にまで育てあげたのである。

婦人部のするめ加工
 特にするめ加工については、今日のように鮮魚として出荷する事はなく、ほとんど加工して出荷されていた。漁船の少ない頃はそれでもよかったが、漁船が多くなると、加工業者にも加工の限度があり、イカが少し大漁すると、組合もその処置に困った。特に漁が幾日も続くと、加工業者も整理出来ず、徹夜の仕事であるだけに、疲れもあって、沖止めを組合に申し出る事もあった。それでも自家加工をする者は稀であった。婦人部によって、出来る限り、自家加工を奨励した事によって、大多数の漁家が加工するようになった。そして漁業組合にて一元集荷する事によって、組合の歩金も入り、漁士も安心して出漁する事ができたのである。剣先するめの自家加工も、馴れない故もあって、当時は製造の品質もわるく、京阪神方面でも漁連の入札も、他漁協に比してよくなかったが、婦人部で研究にとり組み、自家加工体験発表会等を実施したり、組合の集荷の際の検査を厳しくしたりして、指導する事によって、品質も向上していった。

婦人部の漁協及び信用部に対する協力
 漁協婦人部が設立されて四〇年を経過した今日、漁協の運営も青年部、婦人部の協力と、県町の協力、組合役職員、漁民一体となっての協力によって、当時とは雲泥の相違があり、素晴らしく発展向上した。そしてあらゆる施設が完備した。壱岐の他の組合は赤字であるが、勝本の漁協は、毎年僅かであるが、黒字が続き、順調な運営を続け、信用部の運営も婦人部の協力によって益々発展し、預金高も単協では県下一といわれている。するめの値段も、外国品の輸入等によって、著しく下落し、その反面いかの生鮮食品として、需要も多くなり、今日ではいかを加工する必要もなく、鮮魚として全部搬出される時代に変容した。こうなると、婦人部の今日迄尽くしてきた事業の主なるものは、事完れりの感がしないでもない。大きな業績を残して、今後婦人部は何を為すべきであろう。新しい発想の下に、新しい展開を模索しなければならない。貯蓄観念は定着したが、船家等の建造借金を抱えて、その元利金を支払ってゆくのに、窮々としている家庭が多い。福祉が充実してきたので、飢える人はいないが、やりくりに悩み苦しんでいる人は、以前より多くなっている。神武岩戸景気を凌ぐ好況の時代もあった。如何にして漁家の生活の安定を計るか、青年部、婦人部と共に、掘り下げて研究し、今後の活動に取り組む必要があろう。然しそれは、今までの過渡期を青年部、婦人部が、自分達の力で、改善に取り組んだように努力しても、直ちにむくいられる問題ではないであろう。海の資源は無限の時代より、有限枯湯の時代へと、進みつつある。乱獲、工場排水、家庭の洗剤使用も、その原因であり、水温の暖水化も大きな原因であろう。




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社