天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

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勝本浦郷土史43

勝本浦郷土史43

国民宿舎(壱岐島荘)
 所在地、勝本町立石西触一〇一番地、勝本町営国民宿舎(壱岐島荘)、鉄筋コンクリート三階、地下一階、冷暖房付き。敷地面積二、四二三・一一平方米、建物総面積一、七三〇・四八平方米(五二四・三坪)、収容人員一一九名、部屋数二七、営業開始日昭和四四年三月一日。
 湯の本は、温泉源に恵まれ、又、港湾の眺望にも恵まれながら、数軒の温泉旅館はあるが、旧態依然とした一閑村である。この湾港眺望に優れ温泉源を利用して、湯の本の活性化を図る事は、壱岐の観光、勝本町の観光的見地より考えて、急を要する事である。時の白川町長は、四一年、議会に国民宿舎建設の件を提案した。議会としても慎重に是非を検討したが、特別調査委員会を設けて、県内設置ヵ所等を視察して、建設する事となり、位置等の選定をなし、昭和四二年に着工した。
 国民宿舎建設に際して、議会で最も問題となったのは事業費である。一億円にも達する事業を、国県の補助もなく、起債によって施工する事は、当時としては一大事業であった。(起債とは判り安くいえば、国県その他の機関より、年六分位の利子で借金する事である。)昭和四二年度、町の一般会計予算が一億八、七〇〇万円であって、町稅が約二、二二〇万円、地方交付税が約八、五〇〇万円であった。(地方交付税とは、国税のうち、所得税、法人税、酒税の収入から一定率(当時は二八・九パーセント)の額を財源として、収入の少ない地方に交付するものである。)
 町税にしても今日の十分の一、地方交付税に至っては二十分の一の時代に、国民宿舎に一億円の借金をする事は、町の今後の財政を圧迫する事は必然であった。それでも、国民年金起債六、八〇〇万円、県の振興資金起債一、五〇〇万円の資金の融資をうけて、四二年に着工、四四年二月に竣工したが、こうしたサービス事業を、町営で経営する事には、経営面に多くの難点があった。筆者も議員として、町営で経営する事には賛成し難く、委託経営を主張したがいれられず、公益企業による、町営の特別会計として発足した。こうしたサービス事業が、町営では行き詰まる事は当然であった。然し当時は、県内の国民宿舎の大勢は、町営が多かったのである。年を経るに従ってよくなるであろうと思われたが、発足以来ほとんど一般会計にて元金利息を補給して、又、内部の営繕工事費、防火施設等、度毎に町費を費消してきた。昭和四四、五年頃は、町の財政も頗迫して、赤字財政団体の一歩寸前まで急迫して、注意をうけるまでになったが、どうにか切り抜けて来た事は幸いであった。その後も国民宿舎の経営は好転せず、毎年赤字が続き、議会としても、昭和五六年、経営内容の再検討をするために、特別委員会を設けて、県内外の国民宿舎を調査した。調査の精果は、多くの国民宿舎が、第三セクター方式に移行して、純益を挙げている所も多くあった。特別委員会は、調査結果に基づいて、報告書が議長宛に提出された。その要旨は次の通りである。
一、一日も早く民営化(第三セクター方式)にすること。
二、経費(人件費)の適正化を図ること。
三、サービス面の向上と、積極的な誘致宣伝に努めること。
 この報告書の内容の主とするところは、町営の場合は、二四時間三交替制であるので、人件費が嵩む事は当然であること、赤字の原因は、人件費にあると意義付けている。月給制であるために、サービス的な意欲の盛り上がりに欠けていること、民営化の場合は、夜でも朝早くでも、自分の利益につながり、総てが積極的になる事、事務的にやるのと、積極的に自分のものとして経営する事による結果は、大く違って来る事は当然の事である。その後、町としても、議会の強い要請によって、支配人だけ町職員として他の従業員は嘱託で運営され、以前より改善されているが、完全な民営化には程遠いものが感ぜられる。
 昭和五〇年より社会福祉協議会の管理となり、昭和六一年より町の開発公社の管理下におかれている。
 国民宿舎は昭和四四年三月開館しているので、四四年度は宿泊者数八、六四〇人、休憩者数は当初であった為に、一七、二二六人の最高であった。

勝本町保養温泉センター
 昭和四六年三月、湯の本温泉が厚生省より、国民保養温泉地の指定をうけるや、白川町長は、壱岐で一カ所の温泉源を、高度に利用して、湯の本の活性化を図り、壱岐の観光開発に利用せんと、先に国民宿舎壱岐島荘を建設したが、保養温泉地の指定を意義づけて、町民の保養温泉センターを、町営にて建設する事を、四六年九月の定例議会予算書に付して議会に諮った。議会も之を議決したが、泉源の確保には、地元の業者の承諾を得る事に難点もあったが、地元の業者の同意を得て、湯源をボーリングして、湯源を確保、一部鉄筋、木造平家建て二四九・六三平方米、事業費一、〇〇〇万円、内訳国県支出四〇〇万円、地方債四八〇万円、一般財源一二〇万円にて、昭和四七年三月二五日完成した。当時老人クラブもほとんど結成されていたが、安くはあったが有料であったため、三人の従業員をおいての運営は容易ではなかった

 




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社