天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

どうぞ、食を文化をご堪能ください

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勝本浦郷土史44

勝本浦郷土史44
 

が、その後昭和五六年、六〇歳以上の老人と、身体障害者に、湯の本温泉無料優待券が、年間十二枚(一枚四五〇円)交付される事になり、より多くの老人が、温泉センターを利用する事になり、一時期は盛況な時代もあったが、国民宿舎と温泉センターに限られていた優待券が、湯の本全体の温泉に適用される事になり、温泉センターが勝本へ帰りの時間帯のバスとセンターの閉館の時間帯等、サービス面等にも欠陥があり、左記のように利用者も少なくなったが、ここ二、三年復活のきざしが見えている。なお当初は、壱岐島荘の管理下にあったが、昭和五〇年より社会福祉協議会の管理となり、昭和六一年より、町の開発公社の管理下におかれている。

勝本町保育園
 勝本町保育園開設については、昭和四〇年頃から、県より保育園を開設するように要請がなされていた。町としても、県の要請をうけて、昭和四一年、議会厚生委員会は、壱岐で最も早く保育園を開園していた石田村を調査して、幼児保育の重要性を議会に報告したが、その当時已に、霞翠校においても二八年五月に、鯨伏校でも三一年四月に、幼稚園を開園していたので、特に在部においては、三歳児を忙しい農事の中に、送り迎えする事は、今日のように各家に車のある時代でもなかったので、無理でもあった。しかし、県の再三の要望もあり、昭和四五年に保育園建設に着工、金比羅神社下の旧勝本小学校校舎を取り壊し、建設に着工した。昭和四六年三月竣工、同年四月より、定員六〇名を以て開園した。保育園は保護者の稼働、疾病等により、保育に欠けたる乳幼児の委託をうけて、保護育成する制度であるが、近年出生児の減少や、就業構造等の変化により、定員を満たしていない。段々減少の傾向にある。

沿革
年号 年   月
昭和 四五  三  十二日勝本保育所設置条例制定される
   四六  三  二五日坂本触花川に園舎竣工、鉄骨平家建三五九平方米
   四六  四  一日児家第二八五号を以て設置認可される。定員六〇人四歳児限定
          幼稚園入園前児 勝本浦地区対象二クラスで発足
   四七  四  勝本幼稚園二年保育実施のため三、四歳児対象とする
   四八  四  栄養士給食センター出向のため、調理員配置となる。
   五〇  四  三歳児のみ保育とする
   五一  三  園舎増築工事(入所超過児対策一七・五平方米)
   五一  四  園児八二名(四クラス)
   五二  四  園児五五名(三クラス)
   五三  四  園児七二人(四クラス)
   五四  二  入所児募集を勝本浦地区に限定を改め、町内一円に申込募集とする
   五四  四  園児七四人(四クラス)
   五四  五  勝本保育所幼児交通安全クラブ発足
   五五  四  園児七三人(四クラス)
   五五  一一 一二日壱岐郡保育協議会主催、公開保育当番
          公開保育実施(交通指導)
   五五ー五六  保育所裏急傾斜对策工事施工、財源町一般会計
年号 年   月
   五六  三  園地狭隘のため、正門階段を東端に移動、造成地八七・四平方米
   五六  四  園児七五人(四クラス)
   五六  九  消防法による消防設備(火災受信等)
   五七  四  園児七〇人、二クラス複数担任制
   五七  八  倉庫設置(遊具)木造トタン張り一棟(一九・八七平方米)
   五八  四  園児四四人単独(三クラス)
   五八  八  障害児入所措置二クラス編成
   五九  五  屋根全面塗装ぬり替え
   五九  六  消防設備定期点検、委託契約開始
   六〇  二  六〇年度入園児募集、幼稚園就園前児童
   六二  四  六〇人定員を四五人定員に変更する

 

 




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社