天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
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勝本浦郷土史101

勝本浦郷土史101

昭和五六年頃まで、盛況を続けていたブリ漁も近年とみに少なくなり、漁民を失望させている。このように漁民を取り巻く諸条件は憂慮され、漁業の盛衰と一体不可分の関係にある、信用部事業も貯金の伸びも次第に鈍化の傾向にある。こうした諸状勢の中に信用部は、使命を再認識して、今後経営の合理化につとめてゆかねばならないであろう。

第八節 共同販売事業
 組合設立と同時に、漁協の主幹事業である、共同販売事業を始めるべく、計画に着手したが、その事業開始には、幾多の支障があって難航した。
 問題は何よりも、今迄の間屋対船主の関係である。昔から勝本の漁業者は、各自に自分の問屋があり、水揚げした魚はすべて問屋に渡していた。又、船主は漁船の建造資金、運転資金まで、問屋から借りて事業をする者が多かった。こうした情実がからんで、漁協の共同販売事業の開始には、同意を渋る者が多く、なかなか妥協してもらえなかったが、いろいろ話し合いの結果、問屋から借りた金は漁協の方で保証して返済する事とし、又現在の問屋は、組合の入札には無条件にて参加させる等が決められて、漁業者対問屋の問題は解決した。
 昭和十二年一月、県の認可も受け、鹿の下仲の、大久保本店の二階を事務所として、又裏の棚を荷捌所として借りうけ、共同販売事業は開始された。続いて、共同販売所の建設を計画、以前の仮事務所の敷地を、川崎、立石両家より、九六・二坪の土地を譲りうけて、事務所、荷捌所の建設に、十二年三月着工した。木造二階建て、建坪四二坪、一階を事務所として、二階は会議場とした。荷捌所五四・二坪、海上に木造の棚を架設した。同年十月に、工事は完成した。こうして新荷捌所において、事業を開始、鮮魚その他全部の漁獲物を集荷して入札した。入札者は、下関の大洋漁業、戸畑の日本水産、唐津の大成市場で、これ等の業者は勝本の問屋を通じて入札していた。
 昭和三〇年、漁船の増加に伴い、荷捌所狭隘のため、大漁の時には捌ききれず、三〇年十二月、地先一四二平方米を埋め立て、荷捌所を拡張したが、漁船の増加は止まるところを知らず、一力所の集荷所では大混雑を来し、港の中央にて、運搬船による仲取り集荷したり、黒瀬の棧橋を臨時集荷所としたり、湯田の製氷所の先に、棚を造り、第二集荷所としたが、青天井の為に鮮度もわるくなり、第一集荷場では、船からは混雑して揚げられず、陸で篭で運んだ者は、道路に溢れ、その日の魚が、その日に荷捌き出来ない事も度々あって、鮮度は悪くなり、安く叩かれた事が度々あり、組合も新しい荷捌所の必要に迫られた。

漁具船具の購買事業の開始
 昭和十一年、勝本漁業協同組合結成されるや、昭和十二年一月、魚類の共同販売事業を開始すると共に、漁船の漁具船具の購買事業を希望する声が大きく、昭和十三年一月開始したが、この時代すでに、勝本浦にも漁船漁具店が三軒あり、新しい優秀品が次々とできてくる割に、組合の漁具船具は、個人の専門店には、価格の競争は出来ても、次々に改良されてゆく改良品には、組合員の要望には添ってゆく事が出来ず、仕入れた商品は、年々改良品に押されて売れなくなり、在庫品として残っていた。その上に売掛金も出来る等、順調な経営は出来なかった。そのために、組合員より以前に注文を受け、予約のみを取り扱う共同購入の形式をとり入れたが、間もなく戦いも激しくなり、中止のやむなきに至ったが、終戦後二八年、青年部が結成され、購買品を取り扱うようになったので、組合の漁具船具の購買事業は、閉鎖されたのである。

石油類の共同販売事業
 大正九年に始めて、勝本浦に動力漁船が建造されて以来、漁船の動力化は進んで、昭和十三年には、一四〇隻余となり、その中十二馬力以上十隻は、鮮魚運搬並びに商品輸送にして、漁船は一三〇隻余である。このような動力船の急増にともない、勝本漁業協同組合は、共同販売事業を開始したが、引き続き十三年三月、石油類の共同販売事業を企て、仲折の弁天の近くに営業されていた、原田元右衛門氏の、重油二五トンタンク一基と、石油倉庫一棟を譲り受け、事業を開始した。石油の仕入れは、対馬厳原町の新出光石油株式会社と契約し、取り引きをする事にした。同じく十三年に、長崎県漁連が、その西側に重油五〇トンタンク一基と、石油取扱所一棟を建設して、漁協に経営を委託した。それ以後は、燃油の仕入れも、新出光と県漁連の二カ所と取り引きをする事になった。昭和十四年六月には、石油部事務所と、当直室を建設し、事業も軌道に乗った。その後、年々漁船も増加、大型化したことにより、取扱高も倍増して、昭和四〇年には、県漁連と交渉して、現在の仲折の埋立地に、九〇トンタンク一基を増設した。


 

第九節 製氷事業
 勝本漁業組合が設立されるや、事業計画に基づいて、製氷所の建設を計画したが、港湾内には適当な場所がなかったので、湯田の浜に大きな浅い瀬があった。長四郎碑がその瀬の上に建ててあった。干潮時にはかなり海上に表出する瀬であった。その碑を他に移して、その瀬一帯を埋め、敷地約四〇〇坪を造成し、一日十トンの製氷所と、三〇〇トンの貯氷庫を、昭和十一年四月に建設し、漁業用の氷の安価をはかった。それまでは、漁業用の氷は、福岡、唐津方面より、運搬船にて搬入していた。これによって、販売事業特に、銅付事業に多大な貢献をしたのであるが、日支事変に次いで、太平洋戦争が激烈となり、漁船の数も減少もしたが、燃料の石油もなくなり、製氷事業も休業せざるを得なくなった。戦時中の遊休施設は、軍部より徵用される懸念があると、県より注意を受け、止むなく昭和二〇年三月、長崎県北松浦郡漁協に売却した。その後、長らく製氷事業は行われず、昭和四三年、現在の十五トン第一製氷工場が出来るまで、不自由な時代が続いた。

第一製氷所
 先に昭和十一年に、湯田の浜の瀬を利用して埋立工事を行い、十トンの製氷所と、四〇トンの貯氷庫を建設したが、都合により売却した為に、戦後においては、非常な不自由な時代が続いた。組合としても以前のように、氷は福岡、唐津より鮮魚運搬船にて仕入れていた。その結果、氷も配分回数も、割当制にする等、漁民にとっては、大変不便であった。その頃は、漁船数も四三〇隻を数え、漁船も大型化して、イカ等の水揚げが増加し、氷の需要が多くなった為、構造改善事業により、製氷所を建設する事になった。場所は以前の湯田の浜の埋立地とし、昭和四三年九月に着工して、翌四四年三月三一日完成した。
 製氷能力は、日産十五トン製氷、貯氷能力四五〇トン、面積四一六平方米、総事業費三、八八〇万円、内国庫補助金六三二万円、県補助金四二一万円、町費補助金五一〇万円、自己負担金二、三一七万円である。

第二製氷所(改め第一製氷所)
 四三年製氷所建設当時の漁船勢力に比べ、漁船数も五〇年には六三五隻と殖え続け、船型も漁業近代化により大型化して、漁場も沿岸より沖合へと進出する船が多くなり、従って漁獲量も倍加していった。また、流通面でも魚価を上げるには、鮮度の保持が重視された。勝本漁協においても、昭和四三年には、五トン以上のイカ漁船が六五であったが、四七年には、二〇四隻と三倍以上の増加率となった。中央突堤も四七年に完成し、汽船の接岸も九郵が着岸できないという事で、漁業組合の拠点とすべく、国県の許可もできた事から、中央突堤の先端を候補地として、昭和四九年度構造改善事業として、第二製氷所の建設に四九年より着工して、五〇年三月に完成した。製氷機種は、近代的な製氷機と評価されている。石川県漁連のノースター砕氷機を設備した。製氷能力日産四五トン、製氷貯氷能力一八〇トン、面積三八九平方米である。

第三製氷所(改め第二製氷所)
 昭和四四年、第一製氷所、日産十五トンを、旧製氷所跡に再建して、昭和五〇年に第二製氷所を、中央突堤突端に、日産四五トン製氷所を建設、計六〇トンの製氷能力になったが、ブリの不漁によるイカ漁の激増、漁船の大型化による氷の需要も大きく伸び、又、第一製氷所と第二製氷所が離れていることから、氷の受渡し等に不便であることから、昭和六三年三月、全自動式日産四五トンを、中央突堤東側に建設した。第二製氷所と併せて、日産九〇トン製氷能力となった。従って第一製氷所は閉鎖し、第二製氷所が第一製氷所となり、新設された製氷所を、第二製氷所と呼称するようになったのである。

第十節 漁業協同組合事務所・荷捌所漁村センター中央突堤に完成
 勝本漁協創立以来、最も画期的又有効的な建設事業は、九郵の接岸施設として築造された、築出の中央突堤に、幸か不幸は別として、九郵が汽船を接岸出来ないと拒絶された為に、全面的に漁協の使用が可能となった。棚からボタ餅とは、この事であろう。定期船が寄港するかしないかは、勝本町民挙げての活性化の素因でもあった為に、町理事者も議会としても、又商工会、公民館連合会も、定期船の接岸に懸命の努力が続けられたが、結局は八〇年の歴史に終局を告げて、事実上閉港となった。これは今後町民の損失を余儀なくされる結果となったが、勝本の基幹産業である漁業者の為には、大きな福音ともなったのである。当時としては、町の一大事業であり、町理事者、議会のこの中央突堤に対する期待は大きく、県及び国に対して、



 




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社