天比登都柱(あめのひとつばしら) それは夢の島・壱岐
また神の世界と地上の世界を結ぶ一本柱の國、それが壱岐

どうぞ、食を文化をご堪能ください

福岡市内からジェットフォイルで一時間程度の離島・【夢の島・壱岐】です。様々な素晴らしい素材を使った海産物、農産物など、あらゆる素晴らしいを全国の皆様にご提供できればと真剣に考えております。どうぞよろしくお願い致します。

勝本浦郷土史123

勝本浦郷土史123

   四一 一二 手長島漁場において、定置網事業開始。
   四二 二 総代会において一五トン以上を、特殊船と認める事を決定。
   四二 三 婦人部倉庫建設、平家建三二・五坪。
   四二 三 静岡県伊東市富戸漁協より、追込技術者を招聘して、壱岐北松方面の現地調査と、追込実施指導を実施したが、失敗に終わった。
   四二 九 活魚運搬船鋼鉄船、第一、第二壱漁丸(四九トン)二〇〇馬力を、壱岐漁協協同にて建造、活魚を京阪神に出荷を目的としたが、採算に合わず、四一年勝本漁協と箱崎漁協が各一隻宛引き受け、勝本漁協では鮮魚運搬、遭難救助船に利用した。
   四三 一二月 出漁中の漁船がイルカ回避のため漁をやめ、漁場より直接郷ノ浦に直行し、壱岐支庁にイルカ対策の陳情を行った。
      六日
   四三 六 イルカ追込船団を解散して、イルカ捕獲船団委員会発足する。
   四三 三 仲折に給油施設整備、計量器一式完備、事業費三、一二三千円。
   四三 特殊船一号末吉丸続いて、日の出金比羅丸、島本清勝丸進水。
   四四 三 勝本漁協第一製氷所竣工、事業費三六、四二〇千円。
   四四 この年より特殊船(一五トン以上)荒天時の沖止め対象外となる。
   四五 一 シンガポール貨物船ホーチュントレラ号(四、八六〇トン)、本宮山下磯崎に漂着して座礁大破、多量の重油流失し、多く損害をうける。
   四五 三 イルカ捕獲船(捕鯨砲装備)勝漁丸進水、専門捕鯨に従事する。
   四五 五 原田徳衛、勝本漁業協同組合長となる。
   四五 六 一〇隻の船団が始めて県外金沢大野港を基地として操業する。
   四五 四二年から四五年はブリの大漁が続き、浦中活気を呈する。
   四六 三 壱岐郡漁協協同出資で、壱岐製函工場建設。
   四六 この頃から勝本漁船に、強化プラスチック漁船建造される。
   四七 寿楽荘(長島邸)を買い受け、漁協信用部建設敷地とする。
   四七 天ヶ原に漁船の上架施設、造船用地護岸七〇米を設備。
   四八 筒方地区漁港整備事業着工。
   四八 三 海岸局施設設置、無線局機器一式完備。
   四八 五 名鳥島を禁漁区に設定。四八ー五〇年まで七里ヶ曽根において餌付事業を行ったが欠損金を出して中止した。
   四八 九月 特殊船末吉丸、新潟県佐渡沖で遭難、四名全員死亡する。
      一一日
   四八 一二 石油ショックによる総需要抑制策により、燃油の高騰により、漁業経費大幅に増大する。
   四九 四 勝本町は、公金取扱事務を十八銀行より、漁協信用部に指定変更。
   四九 五 香椎仁一郎、勝本漁業協同組合長となる。
   四九 六 黒瀬に信用部事務所及び、漁民センター竣工。事業費(四九、三二五千円)
   四九 六 仲折弁天崎に上架施設、造船所、鉄工所等施設完成する。
   四九 六 仲折に二〇〇トンタンク一基設置。
   四九 六 当局の指導もあって、勝本漁協青色申告会発足。
   五〇 三 浦海湾を湯の本漁港の分港として指定をうける。
   五〇 三 第二製氷所を中央突堤先端に建設、日産四五トン、貯水能力一八〇トン。
   五〇 四 勝本町は漁村という性格上、水産商工課を新設する。
   五一 二 天ヶ原シケン滝長瀬沖に、上漁協ブリ定置網を開始したが、種々の悪条件が重なり、利益をあげる事ができず、五四に閉鎖した。
   五一 昭和四六年頃まで、ブリ漁とイカ漁は漁獲高は相半していたが、昭和五一年頃から続くブリ漁の不漁のため、イカ漁が量的、金額的に優位となった。
   五一 五 カレイ釣組合結成、漁法の向上とカレイ値の安定をはかる。
   五一 太地漁協よりイルカ追込熟練者数名招聘、実習指導をうける。
   五一 四月 流し網によるイルカ捕獲の試験操業を実施したが、効果あがらず。
   五一 四月 イルカ追込で始めて一二頭を捕獲し、更に二二日、四一頭を捕獲する。
   五一 五一年度イルカ追込捕獲数八〇四頭。
   五二 三 壱岐郡イルカ対策協議会結成。
   五二 三 定置網及びイルカ仕切網等を保管するため、中央突堤に一六五平方米の保管倉庫を建設。
   五二 二月 イルカ一七二頭、三月一四日五七七頭追込み、大量追込の見通しつく。
      二七日 
   五二 三 漁業組合事務所、荷捌所、漁村センター完成。
   五二 四 本年度イルカ追込捕獲数一、二〇五頭。
   五二 五月 パナマ鉱石運搬船ミュージベル号(五、九五六トン)名鳥島北方約三〇〇米の浅瀬に座礁し、多量の重油と燐鉱石が流出して、各方面に多大の損害を与える。
      一〇日 
   五二 八月 勝本漁協、不安の中に鮮魚の初セリ開始する。
      八日
   五二 一〇月 タンス湾二一三号により、勝本港湾区域に編入、整備事業に着工。
   五二 この頃から二〇〇海里時代到来、漁業海域の制約を受ける。
   五三 二月 イルカ一、〇一〇頭を辰の島に追込み、米国、カナダ等より講義相次ぐ。
   二二日
   五三 イルカの捕獲、国際問題に発展する。
   五三 三 長崎県久保知事来勝、壱岐漁民、対馬漁民代表、役場関係、議会大勢参集、鉢巻して質疑応答、気炎をあげる。
   五三 四月 五三年度追込捕獲数は一、九七〇頭。
   五三 浦海地区漁港整備事業に着工する。
   五三 七月 辰の島にイルカの供養塔を建立して、除幕式と慰霊祭が盛大に行われ、イルカの霊を慰める。
   五三 一二 第二資材倉庫八〇・四七平方米、木造平家建にて建造される。
   五四 二 イルカ解体処理作業船、はやぶさ三号進水。
   五四 三 湯の本亀瀬灯台、初点灯される。
   五四 イルカの追込捕獲数六回、計二、一四四頭。
   五四 九 青年部資材倉庫、中央突堤に建築、建築事業費五八〇万円。
   五四 西部浜通りに第二集荷場九〇・二五平方米建設、事業費七、八二五千円、しかし浜上げは便利悪く、多く使用する事なく、正村公民館敷地として分譲される。
   五四 一二 中央突堤に構造改善事業として、製品倉庫二六五平方米を建設。
   五四 重油二〇〇キロタンクとオイル二〇〇本の屋外貯蔵庫、串山半島に設置される。
   五五 二月 アメリカ人ケイト、辰の島に夜間渡り、イルカの囲い網を切り、イルカを逃がして、ケイトは威力妨害、器物破損の容疑で書類送検される。
   二九日
   五五 三 イルカ厳砕機船、鉄鋼船、器材一式設置、事業費三、六〇〇万円。
   五五 四月 衆議院外務委員会で、土井タカ子議員イルカ問題で外務大臣に質す。
      八日
   五五 四月 ケイトの初公判が開廷され、勝本漁協役員、一般関係者傍聴する。




 

【壱岐の象徴・猿岩】

猿 岩

 

【全国の月讀神社、月讀宮の元宮】 

月 讀 神 社